渇望の鬼、欺く狐
 どうしてかは、わからなかった。

 ただ、頭に置かれた手と、かけられた言葉に、妙な羞恥を感じてしまった事を今でも覚えている。

 今となれば、その羞恥の理由など簡単に理解出来るけれど。

 きっと私は、子供ながらに、彼に惹かれていたのだろう。

 何度か撫でられた手が、頭から離れていく瞬間を淋しく思って。

 ゆっくりと目を閉じて、彼がまた外の音に聴き入る様子を、静かに眺めていた。

 そこから雨が上がるまで、お互いに口を開く事はなかった。

 彼とたくさん話したい気持ちもあったにも関らず、私は彼を静かに見つめる事を選んだのだ。

 やがて雨が上がり、そろそろ帰らなければという思いと、もう少しここに居たいという気持ちが絡み合った頃。

 半ばせがむようにして、私は彼に訊ねていた。



『……明日もここに来ていい?』



 そして彼は答えてくれた。

 柔らかに口角を上げて、目尻を下げて。

 私の視線や関心を、全て惹き付けながらに。
 
『いいよ』と、たった一言だけ。

 嬉しかった。

 彼との出会いも、交わす事の出来た約束も。

 あまりに嬉しくて、彼との事は家族にすら話さなかった。

 何となく、二人だけの秘密として残したくなってしまったのだろう。

 夜が明ける事が待ち遠しくて。

 彼を取り巻いていた、あのゆったりとした空気に早く触れたくて。

 早く眠らなければと思いながら、その晩は中々眠りにつく事が出来なかった。
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