渇望の鬼、欺く狐
 普段なら買出しが終われば、真っ直ぐに鬼と赤子の元へと戻る狐の足。

 だけど今日は違っていた。

 鬼の施した結界内には入らず、生い茂る木の中から手頃な木を選び、その枝に腰を下ろして。

 静かに目を瞑る狐が、どれ程そうしていた時だろう。

 何かに気付いたかのように、狐はその目を開けた。

 軽やかな動きで地面へ降りた狐は、本能の部分で感じた場所へと足を進めていく。

 やがて狐の視界に映る「それ」へ、狐は躊躇いもなく手を伸ばして見せた。

「それ」――野うさぎは伸ばされた手に体を強張らせて。

 真っ直ぐに狐を見つめながらも、逃げる事をしない。



「ほら。こっち来いよ」



 未だ手を伸ばしたまま。

 漏らした声に反応するように、野うさぎは狐との距離を数歩詰める。

 小さく体を震わせて。

 警戒心をむき出しにしながら。

 だけど本当に少しずつ距離は埋まって。

 やがて野うさぎの鼻先が、狐の伸ばした手に触れた。

 スンスンと匂いを嗅ぐように動く鼻先。

 それは一瞬だった。

 滲み出ていた警戒心が解けたように、狐の手に擦り寄り舌先で狐の手の平を舐め付けて。

 野うさぎからは、もう狐に対しての警戒など欠片も感じられずに。

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