烏牛(うぎゅう)
コツはただひとつ、マサカリを打つ瞬間
かっと見開いた目で真正面から黒牛の瞳の奥を
キッと睨みつけることだ。

この牛は自分そのものだと念じて、全力を込めて
自らを撃つ。撃った瞬間反動でマサカリを戻して

半身に転身する。ガタンと大きな音がして奈落へ
落ちる巨体の自分のなきがらのごとき牛。

無意識に自己自我を抹殺する行為、それがこの屠殺の
瞬間であった。神々しいまでに彼は冷静であった。

一度マサカリがよく研がれていないのを使用した時
きわめて微妙な不快感を感じてからは、マサカリは

毎日研ぎに研いだ。それ以降4頭仕上げた後の
心地よい疲労感は何物にも代えがたいすこぶる
充実したものであった。

そうしたある日烏牛はめったに見ない夢を見た。
ふと目覚めると手も足もとても重たい。

体全体がすごく重くて動かすのがとても億劫だ。
何ということだ、声を出そうにも声が出ない。

口の端からよだれがぬるりとたれる。手で拭こう
にもその手がなんと黒牛の手だ。ゆるりと体を
ひねって立ち上がった。

といっても四つんばいだが。まぎれもない烏牛は
黒牛になっていた。そんな馬鹿なと思ったところで
目が覚めた。

冷や汗で一杯だったがさほど気にはならなかった。
夜明け間近だ、一番鳥の声が聞こえた。

いつものように大きく背伸びをしてマサカリを
吟味する。さあ仕事だ。完璧に研ぎあがった

4本のマサカリを持って屠殺場へとむかう。
今日も空気の澄みとおった少しひんやりとする

朝霧の中だ。鶏の声が遠くでいつものように
小鳥のさえずりと牛の鳴き声との中にはっきりと
聞こえる。
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