身を焦がすような思いをあなたに
力を制御する手段
「私、美砂の隣がいい」

朱理がにこにこしながらそう言うのを聞いて、その場にいる全員が、ひそかにため息を吐いた。それぞれ、少しずつ理由は違うだろうが。

「それでも、いいでしょうか」

穏やかな表情で、美砂が青英の顔を振り返るから、青英は無言で頷いた。


大きく長いテーブルの一辺には、朱理、青英、美砂、その反対側の辺には、陽輔、風汰、千砂の席が設けられている。朱理の希望で、急遽、美砂の隣に朱理の席が設けられた。

「今ね、こんな本を読んでるの」

朱理が、『元気なあかちゃんを産むために』と書かれた本を出すから、さっき安堵のため息をついたはずの陽輔は、口に含んだ酒を噴き出しそうになった。

「ごはんをいっぱい食べて、栄養をつけておかないといけないんだって、美砂」

美砂のお腹を、愛おしそうに眺めながら、朱理がそう言うから、美砂は微笑んだ。美砂も、明らかに敵意に満ちた視線を青英に向けている陽輔に、気が付いている。

「ありがとう。わたくしのお腹の子のために、そんな本まで読んでくれてるのね。今日は朱理の分のごちそうまでいただこうかしら」

だから、わざわざ、はっきりと妊娠していることをアピールする言葉を選んだ。
「お姉さま。今日は、朱理さんのお誕生日ですもの、わたくしのを召し上がって」

千砂がくすりと笑いながら、そう続ける。

「ありがとう、千砂」

朱理は、そんな美砂の気遣いにも、陽輔が安堵のため息を漏らすことにも、気がつかなかった。

そうやって、姉妹が見つめ合って言葉を交わすのを、夢中で見ていた。

ふたりは顔立ちもよく似ていて、金色に輝くまっすぐな長い髪も、まるで全く同じ人間のもののようだ。ただ、声はわずかに美砂が高く、身長はわずかに千砂が高い。

「美砂と千砂は、よく似てるのね。兄弟がいるって、素敵」

朱理がそう言うと、美砂と千砂は、曖昧に微笑むだけだった。

離れて暮らしているから寂しい気持ちもあるのかもしれない、と朱理は思い、それ以上その話を続けるのをやめた。


「朱理、19歳の誕生日、おめでとう」


その言葉に顔を向けると、風汰が、いつものように、にっこり笑って、朱理を見ていた。毎年、風汰は自分の誕生日を祝ってくれたな、と朱理は思う。

「ありがとう、風汰。今年もお祝いしてくれて、ありがとう」

陽輔はと言えば、気持ちが落ち着いたらしく、いくらか視線を緩めて、そんなふたりを見ているだけだ。それも、例年のことだった。

朱理は、心の中で陽輔に「ありがとう」と呟いた。私を生かしてくれて、誕生日の席に顔を出してくれて。父親に、それ以上望むことはないと思う。


「おめでとう、朱理」


美砂と千砂が声をそろえて、双子のように朱理に微笑みかけるから、朱理はこれは夢じゃないかと思う。

いつも、ひそやかに風汰がお祝いの言葉をくれるだけだった誕生日。

それが、今年だけは、こんなに人に囲まれて、祝ってもらえるなんて。産まれたこと自体が、忌まわしいことだと言われ続けて来たのに。

今日だけは、この世に生を受けたことを、喜んでもいいんだろうか。朱理は、そう思うと、浮かれた気持ちになった。

飲んだこともなかった綺麗な橙色のお酒も、美砂が勧めるから、口にした。水の国の晴れの日の料理も、いつもより食べ過ぎたみたいだった。


「ごめんなさい。わたくし、失礼してもいいかしら」

美砂が、申し訳なさそうに、朱理にそう告げた。無意識のうちに、お腹に添えているらしい、美砂の手に気がついて、朱理は慌てた。

「もちろん!来てくれて、ありがとう、美砂」

妊婦は疲れやすい、と本に書いてあった、と朱理は思い返している。

「では、ここでお開きに致しましょう」

流が、一瞬だけ青英と視線を交わしたのちに、そう告げて、朱理にとっては夢のような一時は幕を下ろした。
「朱理」

帰り際、玄関先で、ようやく陽輔は、口を開いた。正直なところ、彼は、3か月ぶりに見る娘の姿に、胸がいっぱいで口もきけなかったのだった。

思った以上に明るくのびのびと生活していたらしく、ほっとした。

陽輔だって、朱理のことが心配で、何度会いに行こうと思ったことか知れない。

無反応を決め込みながら、風汰から伝えられる朱理の様子を、一言も聞きもらすまいと思う日々だった。

青英が朱理に手を出していないかどうか気を揉んではいたものの、彼には美しい妻がいることは周知の事実だったし、釘を刺しておいたのもあり、水の国まで出向くことは控えていた。

自分が顔を出すことで、朱理に里心がつくといけないと自重していたのだ。

「お前のために、作ったものだ」

朱理が包みを受け取るとき、陽輔は彼女のまっすぐな視線を受け止めて、眩しそうに目を細めた。
何が入っているのだろう。そう考える朱理に気が付いたかのように、陽輔は続けた。

「ナンネンソウの繊維を、炎を寄せ付けないと言われている湧き水に浸しておいたから」

朱理は、石造りの塔の中で、指の部分が焦げてしまったグローブを握りしめて、絶望したあの晩のことを思い出した。

「もう生きることも許されないのだろう」と、一晩泣き明かして、それから、夜が明けるころには、「いや、これでこの苦しみももう終わるのだ」と思い直したのだ。

きっと、あれからもずっと、私の力が強まることを心配して、繊維の研究を続けていたんだ。朱理は、そう思って、やっぱりお父さんはお父さんらしいと思った。

あれから、3か月で、こんな状況に自分がいるなんて、自分でも信じられない。何に触れても大丈夫になったのに、まだお父さんは、私の力の暴走を心配してるんだな、と思う。

夜の闇に消えていく父の背中を見守りながら、きっとこうしてこの19年間、先回りの心配を続けながら自分を育ててくれたのだろうな、と思う。


「青英、ありがとう。大好き」

朱理が、そう言って抱きついたから、青英は言葉が出なくなった。元々、よくしゃべる方じゃない。

だから、朱理は、青英が黙り込んでも、不思議にも思わない様子だけれど。

大好きって言ったって、朱理の場合はそう言う意味じゃない。子どもが特定のお菓子を大好き、と表現するのと同じだ。

青英は、それをわかっているにもかかわらず、勝手にどくりと脈打った心臓に舌打ちした。

「なんで怒るの」

その音を聞いて、むっとした朱理が体を離した。

「好きとか簡単に言うな。ものと人間とでは重みが違うんだからな」

青英は、朱理のまっすぐな視線に耐えかねるように、目を閉じた。

「簡単に言ってない。風汰と、美砂と、青英にしか言ったことない」

「お前の身近な人間ほぼ全員じゃねえか」と呟いて、青英はため息をついた。心の中で、しかも風汰が入ってるし、と思ったことには気が付かなかったことにした。

「じゃあ、何て言えばいいの」

「あ?」

「私は、今日みたいに、誕生日を祝ってもらったのは初めてなの。あれは、青英が私の力を抑えてくれたおかげで実現したことでしょう?」

「そうかもしれないな」

「なら、この嬉しいような、大切なような、寄りかかるような、この気持ちをなんて表現したらいいの?」

「知るかよ」

「青英だって、わからないんだ。じゃあ、シンプルに大好き、でいいでしょ」

「大好きじゃねえよ。ただ、依存してるだけだ」

「依存?」

確かに、今の私の自由は、青英にずいぶんと依存してるって、思っているけど。

「そうだろ。さっさと寝ろよ」

青英のバカ。冷たい奴。心の中で毒づいて、朱理はふと思う。


「あれ?今日は、美砂の部屋に行く日じゃなかった?」「美砂は、今晩は安静にしてゆっくり眠った方がいいからな」

「えっ」

自分が浮かれていたせいで、美砂に無理をさせたのだと思ったらしく、朱理の顔は見る間に色を失っていく。青英は、ため息をついて、渋々続けた。

「…そっちの方はたいしたことじゃない。早産の傾向があるから、ときどき腹が張って苦しいだけだ。それよりも、美砂から、誕生日で浮かれてるガキのお守りを言い渡されたことの方が、問題だ」

「はあ!?」

「酒飲んで焦点の合わない目で、あぶねえし」

「私はしっかりしてる!」

「嘘つけ。ぽーっとした顔しやがって」

青英の冷たい両手が、朱理の火照った両頬を包んだから、朱理は胸がどきりとした。


「青英は、美砂の言うことなら、ちゃんと聞くんだね」


ぽつりと、呟くと、青英は、表情一つ変えずに、

「あれは、同士だからな」

とだけ答えて、そのまま目を閉じた。この話はここでもうおしまい、とでも言うかのように。

「力の最大値を知らずに、力を制御できるはずねえだろ」という、青英の言葉を、朱理は、ときどき思い出すことはあった。

かといって、まさか世界を破滅させるとまで神に形容された、自分の力を解放しようとも思ってはいない。

ただ、もう少し、この自由を楽しみたくて。

朱理は、毎日漏れて行くような気のする、限りのない自分の力を、生きて行く上で不自由がない程度には、コントロールできるようになりたい、と思う。


だから、風汰から古い書物の話を聞かされた時、朱理は真っ先に青英の言葉を思い出した。


「私みたいな人間がいたって?」

「うん。何百年も昔に、やっぱり火の国に、そういう女の人がいたらしい」

「それで?」

「彼女は、周辺に燃えそうなものがない安全な場所で、ときどき力を解放することを覚えてから、日常生活を送る上での支障はなくなったって、書いてあった」
「力を、解放」

朱理は、その言葉を繰り返した。禁断の果実が目の前にぶら下がっているみたいで、目眩がした。

「もしかすると、朱理は、力を抑えつけることで溜めこんでしまっているのかもしれないよ。どこかいい場所があったら、少しだけ解放する訓練をしてもいいね」

そう言って、優しい目をした風汰が顔を覗き込むから、朱理はようやく頬笑みを返した。

「うん。ありがとう」


いい場所…か。

そう思って周囲を見回した時、朱理と風汰は思わず顔を見合わせた。

今日は、比較的暖かな日で、朱理は風汰と中庭のベンチで話をしていたのだった。そこは、中庭とは言っても、朱理の部屋からはずいぶん遠く、城壁の傍だ。しかも、花壇や植木などもないスペース。

「ここならいい、かも」

同時に呟いていた。
「じゃあ、少しずつ、体内の熱を、手のひらに集めるイメージを思い描いて」

「うん」

ほんの、少し。細いろうそくの火を目標に、イメージしたにもかかわらず、朱理の手のひらからは、サッカーボールくらいの火の玉がぼっと音を立てて生まれ出た。

あ、やっぱりできそこない。心の中で朱理はそう思うけれど、どうしようもない。

「大丈夫。ゆっくり、大きくできる?」

「やって、みる」

すでに自信は消え去っていたものの、練習しているうちに、上手くなるのかもしれないと言う希望が捨てきれずに、朱理は、集中しようと目を閉じた。

少しずつ、火を、大きく……。

「あっ」

朱理が小さく声を漏らした時には、ごおっと大きな音を立てて、目の前に火柱が立っていた。

風汰が、とっさに竜巻を起こしてくれたらしい。突風に巻かれた炎が、巨大な火の玉に形を変えて、猛スピードで城壁の彼方へ消えて行くのを、朱理は呆然と見ているしかなかった。


自分の部屋から、城壁の外を見ると、胸がしくしく痛んだ。いや、しくしくどころかざくざくと刺されるみたいだと、朱理は思う。

一直線に、森の方向へと、植物がなぎ倒されているのが、はっきりと見えて。


風汰が、風を起こしてくれなかったら、どうなっていたことだろうと思う。彼は、「何の被害もなかったはずだよ」と優しく言って慰めてくれたけれど、朱理の心が完全に晴れることはなかった。

自分の力を制御するための、訓練。それをするだけで、これだけの植物が傷つくとは。

予想以上に自分が、自身の能力を持て余していることを、痛いほど思い知っただけだった。


「すげえものが見えたんだけど」

微笑を浮かべながら、青英が部屋に入ってきたから、朱理はようやく自分の思考を中断した。

「ああ…」

「なにぼんやりしてんの、お前」

嫌味でもなく、意地悪でもなく、冷たくもなく、純粋な笑みを浮かべている青英が珍しくて、朱理は驚いていた。
でも、笑えるような出来事じゃなかった、と朱理は思い直す。

「『すげえもの』って?」

「お前がやったんだろ、あの火柱」

「そうだけど…、すげえって、ひどいって意味?」

「は?おもしれえってことだろ」

「……」

理解に苦しんで、朱理は怪訝そうに眉根を寄せた。

「私は、この辺り一帯を燃やしちゃうんじゃないかって思ったけど」

「別に燃えて困るようなもんは、あのあたりにはないだろ」

「そういう問題!?青英は、この国を継ぐんでしょう?私がこの綺麗な国を破壊するんじゃないかって心配もできないの?」

ひとりで思い悩んでいたのが、青英の言葉で、次第にイライラした気持ちに変わって行く。朱理は、自分が吐き出す言葉を止めることができなかった。「心配してれば、なんかいいことでもあるのか?」


はっとして朱理は青英の顔を見つめ直した。

「そんな暇があったら、何かやってみる方がまだいい」

青英の冷静な声を、そこまで聞いて、朱理は素直に自分のこれまでの考えを反省しかけたところだった。


「大方、お前のような感情的なガキは失敗するだけだろうけどな。あの火柱を出したときだって、おもしれえ顔してたんだろうな」

「…何?」

おもしろいってそういう意味か!!私の慌てた顔が笑えるってことか!!

反省の気持ちは吹き飛んで、感情的と言われた直後にも関わらず、怒りで顔を染める朱理だった。

「何しに来たのよ、出て行って」
「言われなくても出て行く」
「腹の立つ奴!」
「何か言ったか」
「べ・つ・に!」
「生意気なガキ」
「何か言った!?」
「別に」


「本っ当に腹が立つ!!バカ王子!!」

イライラする気持ちを抑えられず、朱理がそう言った時には、すでに青英が部屋から姿を消して、扉が閉まった後だった。


いつの間にか、しくしくした胸の痛みが消えていることに、朱理が気がつくのは、ずっと後のことだった。


< 10 / 18 >

この作品をシェア

pagetop