身を焦がすような思いをあなたに
ナンネンソウ

とうとう、この日がやってきたのか―――。


男は、なかば呆然とした思いで、その光景を見ていた。


自分の娘が、グローブを握りしめて、震えている。俯いたその顔が青白いのは、月明かりのせいではないはずだ。

この部屋に、燃えるものは、何一つない。

部屋はおろか、この塔自体も、焼けにくい白英石(はくえいせき)と呼ばれる冷たく硬い石で建てられている。当然、床も壁も天井も、同じだ。

そして、繊維はすべてナンネンソウから織られている。娘が手にする本などの紙類さえもナンネンソウが原料だ。食器類は、陶器や磁器。

とにかく、可燃性のものは、細心の注意を払って、遠ざけているはずなのだ。


なのに、この臭い。

視界が悪いせいか、その臭いは、一層強く感じられる。

決して目を逸らすことのできない、運命の分かれ道が現れたことを、男に思い知らせるかのように。



「おとう、さん」


ようやく、娘が声を発した。幼い頃のように、たどたどしく。

昔、男が恋焦がれた、彼女の母親にそっくりな澄んだ声で、自分を呼んでいる。

その声が鼓膜を震わせて、その内容を理解すると、ようやく男は自分の体を縛りつけていた何かが解かれたように、体が動かせるようになった。


そっと、娘のもとへ向かうと、彼女が強く握りしめていた指を、一本一本優しく解いてやった。
やっぱり。

心の中で、そう思いながら、男は、自分の推測が間違っていなかったことを知る。

娘のために作ったグローブの、右手に合わせた方。

中指と、薬指の先が、黒く焦げている。


焦げるはずなど、ないのだ。


男は、そう思うけれど、現実に、こうして、グローブの一部が焦げ、焦げ臭いにおいを部屋中に放っている。


「そんなはずはない」と思うことの連続だった。

そう思いながら、男はたった一人のわが子である、娘を見つめた。


彼女の能力が強過ぎて、妻を失ったこと。力が本格的に目覚めるはずの20歳を待たずに、あらゆるものを燃やす力を、そのときからすでに持っていたこと。

もうじき、そんな娘が、19歳になる。

今までだって、とにかく、思いつく限りの防御策を取りながら、娘を見守ってきたつもりだった。

なのに、いつも、不安な気持ちが付きまとっていたこと、男は自覚している。それは、彼が弱いせいでも、妻を亡くしたせいでも、ない。


自分の予想を超えるほどの力が、娘の中に眠っているのではないかと、恐れる気持ちがずっとあったのだ。


根拠はない。ただ、本能的に、その恐れを持ち続けていた。

だからこそ、娘の部屋が、焦げ臭い臭いで満ちていることに気がついた時、「とうとう、この日がやってきた」と感じたのだろう。


「何があっても、朱理のそばに、お父さんがいるから」
それ以外に、男に何が言えただろう。

小さく細い手は、とてもすべてを燃やしつくすと言われる、呪われた手には見えない。

男は、その震える指を、ぎこちなく撫でてやる。

俺が触っても、熱さも痛みも感じない、ただの温かい人肌なのに。

たった一人のかけがえのない友人を、火傷させて以来、娘が外に出たいとわめくことがなくなったと、男は記憶している。子どもらしい楽しみの多くを放棄して、内に秘めた強い好奇心や、明るさまでも、封じ込めるように、彼女は生きて来たのに。


これ以上、何を奪おうと言うんだろう。


男は、あまりのショックに涙すら出ない様子の、不憫な娘を見つめながら、彼女に課せられた非情な運命を恨むしかなかった。

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