君の知らない空
私は重なり合おうとする記憶の中の自分から、そっと身を交わした。
「いないよ」
桂一の表情が和らいだ。
「そっか、よかった」
意味深な言葉の続きが気になって、不覚にもまたドキドキし始める。
期待してるの?
自分を叱咤しても、胸の高鳴りは収まらない。
何かを言い出しそうとして、桂一はためらう唇をきゅっと噛んだ。
「俺さ、まだ今の仕事続けられるか自信ないんだ。でも大学の先輩に紹介してもらった仕事だから、頑張って続けなきゃとは思ってる」
それは予想外の言葉。
期待していた自分が恥ずかしくなる。
口を噤んだ桂一の横顔は深刻そうで、何と声を掛ければいいのかためらわれた。
「先輩も職場の人もみんな、いい人なんだよ。面倒見が良くて、よく飲みに連れてってくれるし」
まるで自分自身に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を噛み締める。
桂一は、遠く窓の向こうの景色に目を向けた。
何が言いたいの?
胸の高鳴りは消えて、小さな不安が湧いて出る。
「今の仕事って、しんどいの?」
思いきって訊ねると、桂一はこっちを向いて微笑んだ。
少しほっとしたけど、不安は消えない。
「どんな仕事も慣れるまでが大変なんだろうなぁって、思ったよ」
桂一が振り切るように言う。
今の仕事も、桂一は辞めようかと悩んでるんだ。
察することが出来たけど、私には何も言える権利なんてない。
「無理しないで」
頑張って、とは言えなかった。