君の知らない空
「ああっ、ここ知ってる!」
懸命に思い出そうとしてる思考に、不意に飛び込んだ母の声。
目を見開いた母は、まるで勝ち誇ったような笑顔をしてる。私より先に思い出したことが嬉しいらしい。仕方ない母に勝利を譲ろうか。べつに競ってはいないけど。
「どこ?」
「ほら、月見ヶ丘の駅前通りの……コンビニのある角を入った二つ三つ東隣のビルよ、あなたの職場の最寄駅でしょ?」
誇らしげに言われても、いまいち私にはピンとこない。じっと見入ったテレビの画面には、飲食店らしきの店舗の入ったビルが黒く焼け焦げた様子が映し出される。
「ああっ、分かった! ここ知ってる。先週、優美と飲みに行った居酒屋だ」
ようやく思い出せた。
そうだ。先週この店で優美と飲んだ帰りに、小川亮を追って夕霧駅前の商店街の路地裏で足を挫いたんだ。
「なんだ、よく知ってるんじゃない。じゃあ、この店の帰りに駅で足痛めたの? まあ、今週じゃなくてよかったわね……火事ですって 」
「火事? 怖っ……」
火元は1階の居酒屋、居酒屋の入った5階建てのビルが全焼したらしい。怪我人は出たようだが、幸い死者はなかったらしい。
「橙子はドジだから、絶対に逃げ遅れたりするよ。逃げる途中で足踏み外したり……」
「言いたい放題だね、踏み外したのは運が悪かっただけ」
「この火事に巻き込まれた人だって、運が悪かったから巻き込まれたんだよ? 橙子も気をつけなさい、明日は我が身だよ」
母の言うことはもっともだ。
「はいはい、分かったよ」
適当に返事をしてテレビの画面へと目を向けたら、ちょうど次のニュースに切り替わった。そのほんの一瞬、焼けたビルの隣のビルの傍に自転車が停まっているのが見えた。
もちろん、あの赤い自転車。