君の知らない空
あれから、山本さんがカリカリしているのが見ていて分かる。本人は気づいているのか分からないが、近づいてはいけないと周囲に感じさせるほど。
しかし野口さんはそんな様子もなく、少しぼんやりした表情をしている。美香を泣かしたことに対する罪悪でも感じているのだろうか。
一方で課長は、オバチャンのことなど無関心を装っているのか。キャビネットから持ってきたファイルを、自分の机で広げて真剣に眺めている。
しかし、美香はなかなか戻ってこない。
江藤も気になっているようで、時折顔を上げては事務所を見回している。
まだ会議室にいるのかも……ひとり泣いているのかもしれない。
私は書類を手にして立ち上がった。
行先掲示板には会議室ではなく、書庫
と書かれたマグネットを貼り付けたが、行先は会議室に決まってる。オバチャンや課長に怪しまれては困るから。
書庫に調べ物をしに行く振りをして、私は事務所を出た。
会議室の扉には『使用中』の札が貼り付けられたまま。美香は中に居るんだ。軽くノックして、返事を待たずに思いきり開けた。
美香が目を丸くしてる。椅子にもたれ掛かり、携帯電話を耳に当てて。
「ごめんなさい、また掛け直します」
畏まった口調で電話を切り、美香は姿勢を正して私の方へ向き直った。その目に既に涙はなく、さっきまで泣いていたことを感じさせない。
「ごめんね、電話の邪魔しちゃった?」
誰に電話していたんだろう。美香から電話したのか、美香にかかってきた電話なのか。美香は柔らかに微笑んだ。
「いいえ、大丈夫です。どうしたんですか?」
「あの……少し話してもいい? そんなに長くならないから」
何を言い出すんだ。自分でも何を話すのかも分からずに、言葉がついて出ていた。
「はい」
美香は僅かに不思議そうな顔をしたが、かき消すように頷いた。