君の知らない空
あの夜、小川亮を追っていった路地裏で誰かの呻き声を聞いた。そこにいた男性たちの中に、桂一の先輩も居たんだ。
先輩が腕を広げてる。一気に襲いかかる恐怖から逃れようと、私は必死に歩道の柵にしがみついた。胸元まである柵の向こうを覗いたら、3メートルほど下の車道を車が走り抜けていく。
「危ないから、こっちに来なよ」
先輩が背後から覆い被さってきて、耳元で囁く。抵抗しようとした腕は、あっという間に取り押さえられた。
「転けた後、君を助けてくれたのは誰? 大月じゃないのは分かってる。大月は俺らと一緒だったから違うし……なあ?」
先輩の体重が背中に圧し掛かり、柵との間に挟まれて息苦しい。顔を上げた私の首筋に、ゆっくりと唇が這わされる。
「やめてください! 私は、何にも知りません!」
まとわり付く嫌な感覚を振り払うように、大きく頭を振った。しかし離れまいと唇が、さらに執拗に這い回る。
「やめ……て……」
込み上げてくる涙とともに、嗚咽が漏れる。唇が動きを止めて、ゆっくりと離れていく。
「大月は知らないんだろ? 君が他の男と一緒にいたと……バレたら? あ、彼女じゃないからバレてもいいか?」
「彼は……私は、何にも……」
言いかけた背中から、圧し掛かる重みが消えていく。私の腕を強く掴んでいた先輩の手が、ぱたっと離れた。
恐る恐る振り向いた足元に、先輩がずるりと崩れ落ちていく。私は柵にしがみついたまま、脱力感に引き摺り下ろされそうになる体を支えた。
滲んだ視界には、先輩ではない黒い影が浮かんでいる。新たな恐怖に、私は唇を噛んだ。