君の知らない空
#8 やさしい人

◇ オレンジ

   
目深に被った黒いキャップから覗く焦げ茶色の髪が、風に揺られて心地よさげにそよいでいる。黒縁の眼鏡の向こうにある彼の瞳は何を映しているんだろう。


夕霧駅へと続く商店街を、彼と並んで歩いてる。これは夢なんじゃないかと思えるような状況に、必要性以上にドキドキしてしまう。


平日の昼下がり、人の姿は疎らで時々聴こえてくのはバイクの走る音と自転車のブレーキ音。


こんな店があったんだと新たな発見をしながら、彼の横顔を楽しんでる。


ふと、彼が目を細めた。


「あれ、橙子だ」


歩く速度を緩めて彼が指差したのは果物屋。指差した先の店頭には、オレンジ色の果物が籠いっぱいに盛られて並んでいる。


「みかん……みたいだけど?」


尋ねたら、彼はくすっと笑って店の方へと歩いてく。とりあえず私も後を追う。


「ほんとだ、みかんだった」


店先で足を止めた彼は、籠いっぱいに積み上げられたみかんを見て笑った。
何がそんなにおかしいのかわからないけど、彼の笑顔はかわいい。


彼がさらりと店内を見回して、振り向く。


また何か見つけたのかな?


「あった、橙子だ」


と頬を寄せてきた彼の視線の先には、みかんと同じ色。みかんよりもひと回り小さい籠に5、6個盛られたオレンジ。


「……」


彼がぼそっと何か言った。聞き返そうとするより早く、彼が店員らしきおばさんに声をかける。


「これ、ください」

「はいはい、オレンジね、ありがとう」


店のおばさんが手際良く入れてくれた袋を持って、再び歩き始める。


彼の足取りは軽やかで、見ている私まで楽しいような気分。ちらりと彼を見上げたら、にこりと微笑んでくれる。



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