君の知らない空
夕霧駅から程近く。商店と民家が混在して建ち並ぶ中で、見逃してしまいそうな小さくて古びた店だった。
周辺の建物と同じく、たぶん昭和50年から60年代に建てられたと思われる雰囲気。一見すると店とは思えない外観で、看板もないため何の店なのかわからない。本当に営業しているのかさえも。
自宅の最寄駅だというのに、こんな店があるとは今まで知らなかった。見逃していたとしても無理はない。
私の戸惑いに気づく様子もなく、彼は私の手を引いて店へと向かっていく。
彼の食べたいものでいいなんて言うんじゃなかったと、既に後悔し始めてる。
軒先に掛けられた小さな暖簾は、店の外観とは不釣り合いなほど綺麗でぴんとハリがある。深い紺色の生地の隅の方に、小さく流れるような白い文字が書いてある。
『流星』というのが、この店の名前だろう。
懐かしい雰囲気を漂わせる引き戸をからからと開けると、ソースの匂いが鼻に飛び込む。お好み焼き屋さん、と気づくと同時に店内から声が聴こえた。
「いらっしゃい、あら?」
にこやかに私たちを迎えた声の語尾が跳ね上がる。聞き覚えのある声。
大きな鉄板の向こうに座っていた淡いピンク色のエプロン姿の中年女性が、目を丸くして立ち上がった。
「ああっ!」
声を上げた。
彼がいることも構わず。
思いっきり目が合ってるし、絶対に会ったこともあるし、話したこともあるというのに、どうしても名前が出てこない。そんな私を見兼ねて、おばさんが顔を綻ばせる。
「ハルミちゃん、久しぶりね」
そうだ、私が忘れたんじゃない。そもそも名前を聞いてないんだ。
一気に脱力する私を見て、彼がくすっと笑った。