君の知らない空
「僕も、嬉しいんだよ」
彼が、とても優しい顔をする。優し過ぎてまともに見ていられなくて、目を逸らした。すると彼が私の手を取り、私の腕時計を確認する。
「まだ帰る時間じゃないね、もう少し付き合ってもらっていい?」
と言って、彼は夕霧駅へと向かう。
まだ時刻は午後4時、家に帰るには早い。
母には美香の家から出社したことになっているから、家に帰ったら早退したのかと驚くにちがいない。
彼は言わないけど、会社から帰る時間まで潰してくれようとしている。そこまで気を遣ってくれているのかと思うと、嬉しくて堪らない。
「どこか行きたいところある?」
「うん……小川さんは?」
尋ねてくれたけど、本当はまだ怖かった。まだ近くに綾瀬の部下がいて、彼を探しているかもしれない。あまりうろうろしていたら、綾瀬の部下たちに見つかるんじゃないかと思うと、やっぱり怖い。
そんな私の不安なんて知らないのだろうか、彼は大胆な事を言う。
「霞駅のショッピングモールに行ってもいい?」
「うん、いいけど……」
って答えたけど、内心はもやもやしてる。どうして、そんな人の多いところに行こうとするのかなぁ……と言いたい。
以前、桂一とショッピングモールに行った時のこと。急に桂一が捜索に駆り出されたことがあったというのに、彼は知らなかったんだろうか。
あの時追われていたのは彼じゃなく、周さんだったのかもしれないけど。
「橙子、木は森に隠せって言うんだろ? 心配しないで」
にこっと笑った彼は私の手を引いて、改札口へと入って行った。