君の知らない空
    

彼が眼鏡に手を掛けた。
作業台に向かっていた知花さんが、顔を上げて振り返る。


「あ、こっち向きそう」


彼が眼鏡を外すのと同時に、知花さんが振り向いた。じっと見つめてる私たちに気づいて、にこやかに手を振ってくれる。


「うそ?  通じた?」

「やったね」


知花さんに向けて、彼がぺこりと礼をした。私も大きく手を振った。
ちょうど店に来たお客さんが、不審な顔で振り返る。私たちは慌てて顔を伏せた。


「すごいね、通じるものだね」

「僕の眼力かな」


彼が得意げに笑って、眼鏡を掛けようとする。


「待って、小川さんは、本当は目が悪いんじゃないんだよね?」

「うん、目は悪くないよ。それより、小川さんじゃなくて、亮って呼んでくれたらいいよ」


テーブルに肘をついて、ぐいと顔を寄せてくる。ちょっと怯んでしまった恥ずかしさと、彼の顔が間近にある緊張感で頬が熱を帯びてくる。


やっぱり……
帽子も被ってない、
眼鏡も掛けてない彼がいいな。


眼鏡を持ってない彼の左手が、私の右手に重なった。
どきっとして、息が止まりそうになる。どこを見たらいいのかわからなくて、目を逸らしてる間に彼の顔が近づいてくる。


うそっ、
ダメダメダメ……
こんなところで……


ぎゅっと目を閉じたら、柔らかな感触。重なり合う唇の隙間からぬくもりとともに入り込んでくるのは、チョコレートの匂い。さっき食べたアイスクリームの味。


ゆっくりと離れてく甘い匂い。
目を開けてまず確かめたのは、彼の顔じゃなくてアイスクリーム屋さん。知花さんに見られてなかったのかと、ひやひやしながら。



< 312 / 390 >

この作品をシェア

pagetop