君の知らない空
彼が繋いだ手に力を入れる。
それなのに胸が痛むのは、彼の意図を察していたからだろう。まるで彼が、手を離してと言っているように思えたから。
離したら終わりだと思った。
きっと、この手を離したら彼はどこかへ行ってしまう。私の知らないどこかへと。だからこそ、簡単に離すものかと強く握り返した。
耳に触れる彼の息遣いは穏やかで、心地よい。傾けているだけで落ち着いていられる。ずっと離さないでいてほしいと、私はずっと願い続けた。
彼が、小さく息を吸い込む。
「橙子、よく聞いて。本当は家まで送りたいけど、僕はここまでしか送れない」
たぶん、私は予想していた。
確信はなかったけど、彼がこんなことを言うんじゃないかと思っていた。
だから落ち着いて耳を傾けていられるし、大げさに驚いたりはしないんだ。
彼が強く抱き締めてくれるのは、きっと私がすぐにでも聞き返すと思っているから。
確かに私の胸の奥には、再び顔を覗かせようとする不安がいる。不安は微かな浮き沈みを繰り返しながら、私を刺激し始めていた。彼に尋ねなくてもいいのかと。
でも、今は尋ねてはいけない。抱いてくれている彼の力強さに応えなければいけないのだから。
「橙子は、ひとりでこの駅を出て。駅前に白い軽自動車が停まってるから見つけて、声を掛けて。すぐにわかると思う。橙子を家まで送ってもらうように言ってあるから」
頭の中に蘇ったのは、ショッピングモール近くの交差点で電話していた彼の姿。あの時、彼が電話していたのはこのためだったんだ。
気づいた途端に鼓動が速くなり、胸がざわめき始める。どんなに彼が強く抱き締めてくれても、不安は膨らんでいく。