君の知らない空



私が自宅に着くまで、周さんの車のエンジンが掛かる音は聴こえなかった。


玄関のドアを開けて振り返ると、ようやくエンジンが掛かって静かに走り出す音。まるで、私が家に帰るのを確かめていたかのように。


早く帰れと言っていたのに、本当によくわからない人だ。それでもいいから、亮の無事を早く知らせてくれるように私は心の中で願うしかない。


「おかえり、遅かったじゃない。もう、急に外泊なんてやめてよね、ご飯だって作ってたんだから」


リビングから顔を覗かせた母が、私に気づいて呆れた顔で出迎える。


「ごめん、会社の子の両親が旅行に出かけてて、ひとりじゃ怖いって言うから……」


適当に答えた。
母には美香の家に泊まると連絡してくれたらしいのだから、間違ってはいない。


「橙子が泊まっても頼りにはならないでしょう、ご飯食べるでしょ? バッグとか置いてきなさい」

「うん、食べる」


何にも怪しむことなく、母はリビングへと戻っていった。


部屋に入って、バッグの中から携帯電話を取り出す。数件のメールの着信は、優美と美香と桂一からだ。


ずっと着信音を消していたけど、着信があったことは気づいていた。亮と一緒に居るところを邪魔されたくなくて、あえて放置していたから。


優美と美香は、課長の葬儀の件だろう。桂一は……


携帯電話から目を逸らして、大きく息を吐いた。ぐっと携帯電話を握り締めて、目を閉じる。


脳裏に浮かぶのは、霞駅での桂一の姿。


私は何を恐れているんだろう。どんどん鼓動が早くなって、胸が締め付けられる。


せめて桂一からのメールが、あの時よりも前であってほしいと願わずにはいられない。


気持ちを落ち着かせようと何度も息を吐いても、苦しさからは解放されない。


一件もメールを確認することができないまま、私は携帯電話をベッドに放り出して部屋を出た。


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