君の知らない空
◇ 彼の名
「橙子、すごいよ! 大接近じゃない!」
優美の声に、周りの視線が一斉に注がれる。私の席の周りの人たちが、何事かと言いたげな顔をしている。
私は慌てて頭を下げた。
自席で話した私も悪い。
隣の島の山本さんまで、怪訝な顔でこっちを見ている。
「ちょっと声大きいよ、リフレッシュ行こう」
私は席を立ち、優美の手を引いた。
リフレッシュコーナーには幸い誰もいなかった。慎重に誰も来ないことを確認して、私たちは深呼吸する。
「ごめん、つい興奮しちゃったよ。そんなことあるんだね……びっくりした」
優美は興奮覚めやらぬ様子で目を見開いた。
「でもね、怖かったんだから……ほら、見てよ」
肘に貼り付けた絆創膏を見せる。
あの時は気づかなかったけど、家に帰ってから母に言われて怪我に気づいた。
ひったくりに遭ったとは何となく言いにくくて、自転車で転んだと言ったけど。
「でもさ、何で名前聞かないかなぁ……せっかくのチャンスだったのに」
「それどころじゃないよ、パニクってるのに名前聞くなんて思いつくはずないでしょう?」
「ホント、惜しいことしたよね……」
私だって、昨日後悔してたんだ。
名前ぐらい聞けばよかったって。
「よし、今日ジムでお礼言おう! それで名前も聞いてしまうってのはどう?」
「うん、分かってるよ」
もちろん、私もそうするつもりだよ。