千の夜をあなたと【完】
一章
1.捻くれた伯爵様
――――春。
窓から海風に乗って潮の香りが部屋に流れ込んでくる。
レティは長い栗色の髪を風に靡かせながら、窓のさんに手をついて身を乗り出した。
遠くに見える、紺碧の海。
真青な波を重ねた海は陽の光にきらめき、水平線と空の境目に北の海へと渡っていく帆船が見える。
レティは眼下に広がるティンズベリーの街とその向こうに広がる海を見渡しながら、髪を指先でくるくるといじっていた。
その大きな褐色の瞳は春の日差しの下で明るく輝いている。
3月に入り、凍てつくように冷たかった風にも少し春の暖かさが混じり始め、街行く人々も冬の重い外套を脱いで春の装いをしている。
煉瓦造りの民家の脇に植えられた街路樹が目覚めの季節を迎え、枝々に新芽の小さな蕾が芽吹き始めている。
海風に吹かれ、砂埃に包まれた街はかすかに霞んでいるが、春の気配は街のどこにいても感じることができる。
少女の名はレティーシャ・アリー・ティンバート。16歳。
通称、レティ。
長い栗色の髪と大きな二重の褐色の瞳を持ち、顔立ちや体つきは至って普通。
馬に乗る姿や庭で犬を追いかける姿は『小鹿のような』と言われることもあるが、淑女に対してそれはあまりほめ言葉ではない。