魔法の原理
天野とココロは弓道場にいた。体育館の隣に建設された学校の施設で、弓道部の活動拠点となっている。今日は活動が行われていなかったため、道場には二人しかいない。
 駐輪場で、天野が要領を得ない自己紹介をし終えると、ココロは弓を引いている姿を見たいと言い出した。天野は弓道部の部長だった。夏に引退してから五ヶ月ほど経っているが、道具は部室に残っている。騙されたような感じを抱きつつも、リクエストに応えることにした。
 
 タンッ。
 体育館で活動してる部活の生徒たちの声が、果てしなく遠いところから聞こえてくるように響いている。無音ではない。しかし静かであった。静寂の中に響く弦音と的中の音。
 「うまい、うまい。ブランクとかってないわけ?」
 ココロは手を叩いて喜んだ。天野は作法に従って行射を終え、ココロの横に正座した。
 「ブランクは勿論ある。でも、できるって信じてたから。まあでも正直驚いてる。」
 「自信満々だね。もしかしてすごい選手だった?」
 「まさか。人並み程度だけど。だけど、一番最後の試合に負けて、引退するときに思ったんだ。遅すぎたんだけどね。」
 ココロは大げさな反応とは裏腹に、話を聞くときは妙におとなしくなり、目を逸らさず、口も開かない。天野は一呼吸おいて続けた。
 「駄目だって思ったら駄目なんだよ。できるって疑わなかったらできる。この世界では、強く確信したことが未来になる。例えば、自分の名前とか、誕生日とか、疑ったりしないだろう?絶対そうだって信じてるから、真実であり続ける。根拠なんていらない。一ミリも疑わないで、馬鹿みたいにひとつのことだけ思うんだ。」
 天野はココロと遭遇した瞬間を思い出した。―オレ、魔法使いなんだ。―
 「結論として、オレは魔法の正体は<信じること>だと思ってる。りんごの色を世界中の全員が”あお”だって信じたら、明日から”あか”はいなくなっちゃうのさ。疑いに満ちすぎた現代じゃ、使うのが難しいのも当然でしょ。で、ココロ、だっけ?君の魔法に興味があるんだけど。」
 ココロは立ち上がった。
 「面白い思想だね。オレはファンタジー小説みたいに、火を出したり、空を飛んだりはできないよ。それにそんなにぽんぽん使うものでもないしね。仕事があるし、今日はおいとましようかな。楽しかったよ。ありがとね。バイバイ。」
 ココロは一気に喋ると、違和感のある静かな笑顔を浮かべ、風のように道場の出口へ足を運んだ。慌てて天野も追いかけたが、出口をくぐった先に、人の姿はなかった。ココロが履いていた白い靴も無くなっている。明らかに靴を履いて道場を出る余裕はなかったはずなのに。
 「なんだそれ。」
 天野は一人で片づけをはじめた。ココロが座っていたあたりに、その名残は何も残っていない。
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