こうして僕らは、夢を見る







「蕾!?」





やっと戻ってきた母さんが姿を現したかと思えば叫んだ。





「なにやってんの!?間に会わないでしょうが!早く行きなさい!ほらっ!さっさと身支度して!」

「間に合うよー。全力で走れば充分間に合いますぅー」

「時間に余裕を持ちなさい!走ってもギリギリでしょ!?」

「はいはい。ったく。煩いなー、もう」

「っんこの反抗期娘!」

「痛っ!」

「さっさと行け!」

「わ、わかったよ」





鬼嫁の怒声が家中に響く。父さんは何でこんな鬼嫁と結婚したのか不思議で堪らない。怖すぎるし!マグカップを机の上に置くと慌ててエナメルバッグを手にする。



叩かれた頭を擦りながら玄関に向かおうとリビングの扉に近寄るが――――‥





「ああ!星座占い見なくちゃ!」

「つ〜ぼ〜み〜?」

「っぴぎゃ!わ、わかってるよ!行くよ!私は星座占いなんて興味ないもんねっ」





うらめしや〜……と幽霊が相手を恨んで不気味に言う台詞のように名前を呼ばれた私は恐怖に包まれリビングを後にした。



あー!星座占い!



興味ないどころか趣味の範囲ー!



















―――――――「でも、ちょっと時間やばいな」





靴を履きながら、呟く。



母さんに言われてなきゃ遅刻してたかも。走っても間に合うか間に合わないかの瀬戸際だ。でもいま走って行けば充分間に合わう。



母さま。有り難し。





「お?―――やべ!間違った」





不意に気づく。靴紐が違うことに。




「は、はやく!」





慌てて靴紐を抜き取るとエナメルバッグから取り出した靴紐に差し替える。今日は大会日和だから、この靴紐にしたい。



もともとの白い靴紐はエナメルバッグの中に仕舞った。そして替えた靴紐をギュッと強く結ぶと気合いを入れるため頬を叩いた。





(パンッ




「っうし!」





荷物よし!靴紐よし!気合いよし!スイカ充電完了よし!



完璧!



エナメルバッグを肩に掛けると、玄関にある等身大の鏡の前に立つ。


鏡の中にいる自分は焼けた小麦粉色の肌にショートカット。そして光陽高校陸上部のユニフォームを着ている。寝癖が付いた黒髪が無造作に跳ねている。外側にピョンピョン跳ねる髪型はいつも通り。ある意味チャームポイント。





「頑張ろうーっと」





ニィーと口元に笑みを作ると拳をギュッと握った。



昨年は大会に出る度にドキドキしていた。緊張が治まりきらず腹痛になることが多かった。だけど今は私はドキドキよりもワクワク。踊る心に闘志がみなぎる。



――――――――ラガラガラ。横引きのドアをスライドさせれば、ガラガラガラ。そう音を鳴らす。



ドアを開ければ、すぐ見えるのは明るい陽射しに青空。深呼吸をし瞳を閉じる。



意識を周囲に傾ければ全ての音が鮮明に聞こえる。神経が研ぎ澄まされた感じ。



陽射し、外の空気、そよ風、住宅、車の音、人の声、足音。



音が明るい。全てが生きている。時おり吹く風が私を応援してくれている気がした。後ろを振り向き――――‥‥





「行ってきまーす!」





家のなかにいる父さんと母さんに向かって叫んだ。





――――‥‥いってらっしゃーい





僅かに聞こえた声に私は満足気に笑みを浮かべた。そしてゆっくり扉を閉める。




ガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラ




ぱたん。




閉まったのを確認すると私はエナメルバッグをかけ直し元気に住宅街を駆け抜ける。この情景が今日で見納めになることも知らずに。


靴には青い空と同じ色をした水色の靴紐がキツく結ばれていた―――‥‥
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