こうして僕らは、夢を見る
「ば、バイト!忘れてたっ!」
朔君が急に私の慌ただしくなった様子に「一体何があった」と目を見張り凝視してくる。テニスコートから打ち合う音もピタッと止んだ事さえ私は気づいていない。
だって………っ
バ イ ト 完 璧 遅 刻 !
奇声を上げそうになるのをグッと堪える。
本当に現実は手厳しいぜ!だって時間は待ってはくれない!待たなくていいから針を巻き戻して欲しいなんて夢のまた夢のような事を思ってしまう。
この歳になってまで遅刻とか勘弁してほしい!今まで無遅刻無欠勤というバイト先の皆勤が無駄になってしまうじゃないか!
「ごめんねっ!私これからバイトなの!て言うかいまバイトの時間帯なの!行かなきゃ!」
<バイト><遅刻><給料><シフト>それらが私の頭をぐるぐる駆け回る。遅刻なんてしたら勝手にシフト埋められちゃうよ!休暇を奪われて堪るか!RPGの続きを徹夜で出来なくなる!
青いベンチから即座に立ち上がるとエコバックを掴んでポケットから自転車の鍵を取り出した。
「朔君、ばいばい!みんなにヨロシクね!」
それだけ言うと私は自転車の鍵を握りしめて早歩きから徐々に小走りに一目散に石段を下りていく。
くそおおおッ!
こんなとき本気で走れない脚が憎い!憎たらしすぎるぜ全く!何で遅刻してんのにちんたら小走りで急がなきゃイケないんだ!
バイトどうしてくれんだよ!寧ろ瞬間移動的なハイパースキルを所持していれば楽なのに!ゴールドアイテムか何かで楽に移動出来たら幸せなのに!ああッ!どっぷりとゲームの世界に浸りたい!
私はぶつくさと文句を言いながら石段を降りた下付近に止めてある自転車に向かって足早にテニスコートから立ち去る。
苛立ちで自転車の鍵を握る手に力が籠る。鍵についた兎がギリギリと音を立てている。今にも可愛い雑貨屋で買ったにも関わらず不細工な兎が壊れそうだ。
ベンチから立ち去ろうとするときに後ろから朔君の言葉が聞こえた。司くんの声も耳を掠めたが私は今それどころでは無く振り返らなかった。
――――――‥だから私は慌ててコートから飛び出してくる司くんが居たなんて知らなかった。
なのにそんな彼を無視する私は最低以外の何者でもない。
知っていれば例え急いでいても脚を止めていたのに。寧ろ朔君の呼び掛けがあった時点で脚を止めれば良かったんだけどね。