Secret Lover's Night 【連載版】
苦しさと不安、そしていつもと違う晴人への恐怖に千彩が震え始めたのと、二人の異変に気付いた母が慌ててリビングへ駆け込んで来たのはほぼ同時だった。


「晴人っ!止めなさい!」


どうにか晴人の腕の中から千彩を救い出し、苦しそうに肩で息をしながらゲホゲホと咽る千彩の背を摩りながら母は思った。

この子達は、まだ互いを知らなさ過ぎる、と。

「落ち着きなさい。何があったの?」

ソファに顔を伏せて拳をグッと握り締め、小刻みに肩を震わせる晴人の姿は、怒っているようにも泣いているようにも見える。どちらだろうか…と迷い、母はそっと晴人に手を伸ばした。

姉の有紀や弟の智人と違い、晴人は幼い頃から心の内を話さない子だった。ワガママを言うこともなければ、不平不満を洩らすこともない。そんな晴人が、初めて「どうしても」と頭を下げたこと。それが千彩との結婚だった。

だからこそ、家族は千彩を大切にした。晴人の願いを叶えてやりたい。晴人の想いを認めてやりたい。その一心で、一進一退を繰り返す千彩の病にも懸命に向き合ってきた。

「あのね、ちさ…ちさ、ここにいる」
「ちーちゃん?」
「ちさ、はるのとこへは行かない。ここにいる」
「何でや…そんなに智人がええんか!」

勢いよく顔を上げた晴人の表情を見て、母は声も出せないほどに驚いた。一般的に不安定だと言われる思春期にでさえ見たこともないような、苦痛とも悲しみとも怒りともとれる晴人の表情。

そして、隠すことなく流す涙。

千彩の言葉一つでそこまで…と思うと同時に、晴人にとって千彩がどれだけの存在なのかを痛いほどに感じ、母は黙って千彩の背を摩りながら視線を落とした。

「なぁ、何で智人なん。ずっと傍におるからか?それやったら俺も仕事辞めるわ。それでお前が俺の傍におるんやったら、仕事も仲間も全部置いてこっち帰ってくるわ!」
「お仕事辞めるん?そんなことしたら、けーちゃんもめーしーも困るよ?」
「俺はお前がおったらええんや。他はどうでもええ」
「そんなん言うはる…嫌い!」

バンッとソファを叩いて立ち上がった千彩は、くるりと背を向けてリビングを後にし、そのまま二階へと駆け上がってバンッと乱暴に扉を閉めた。
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