朱家角(上海水郷物語1)

決意新たに

と言って出ようとした時1枚の写真が目に入った。
「これは?」
「私の一人娘。今上海の看護学校にいます」
「よく似てますね。かわいい」
「ありがとう。また来年」
「ええ、来年また」

と言って二人は微笑んで別れた。
ホテルはすぐそこだ。昼前にチェックアウトして
朱家角に別れを告げた。

帰りの黄海も穏やかだった。船の中でスケッチブック
を開いてみる。最初のタッチと同じ場所でも相当違いがある。
早朝の放生橋からの景観は格別の出来だった。

あとあの理髪店のおかみさんの肖像画。
激しいタッチで息づいている。あの時の瞳の奥の突き上げる
ような情念に本庄は初めて人物を描いてみようと思った。

できればもっともっとこの瞳の奥を描いてみたい
という欲求がふつふつと湧き上がってきていた。

『よし、来年も必ず行こう。
人物も真剣に挑戦してみよう』
船の中で本庄は決意を新たにした。


冬の京都は観光客は少ない。嵐山で小さな民芸品店を
営んでいる本庄は妻を亡くして5年、両親も子どもも無く
天涯孤独の身である。

唯一の友人が画廊を経営していて、その奥さんからの紹介で
水彩の会に入った。面倒見のいい奥さんでうらやましい限りだ。

本庄は年が明けて梅の頃に画廊を訪ねた。友人は渡仏中で
奥さんが1人画廊の奥に座っていた。

「まあ、おひさしぶり」
「あの、ちょっと相談したいことが・・・」
「ええ、なんでしょうか?」
「こんど、人物画をやりたいんですが」
「まあ、本庄さん。裸婦?」
「いえいえ、肖像画。それも全身ではなくて顔のみの人物画を」
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