朱家角(上海水郷物語1)

さよならスケッチブック

ほんとの深い悲しみの闇は、
これから日を追って限りなく
深まっていくことだろう。

もう本庄はそれを感じ始めていた。
皆の感謝の声を背に受けながら、
呆然としたままゆっくりと歩み始めた。

どこをどう歩いてバスに乗り、
どこで乗り換え義烏に着いたか
全く憶えていない。

検品をした覚えがないのにちゃんと
4千本の鎖を買い付けて、
リュックはずしりと重かった。

リュックの底にはメイリンの裸婦画が
10枚隠してある。スケッチブックを抱え
本庄は上海に向かった。

この日は真冬とはとても思えないほど温かい一日だった。
本庄はうつろな眼のまま夢遊病者のように重い足取りで、
国際フェリーの出国カウンターにリュックを置いた。

「中身は何ですか?」
本庄は無表情でリュックを開ける。
二人の女性係員が呼びつけられた。

緊張が走る。二人は重い鎖の包みを持ち上げようとした。
ビニールから見えたアクセサリー用の鎖を確認して、
女係員は本庄に微笑んだ。

反射的に本庄も微笑み返した。責任者が大きくうなづいて
荷物はカウンターを抜けた。本庄は又も無表情になって
足取り重くリュックを背負い乗船した。


帰りの黄海はとても穏やかだった。スケッチ
ブックに10枚の裸婦を挟んで後部デッキに出る。
陽射しは淡く夕日が静かに沈んでいく。

日が暮れた後も本庄はじっとデッキの
ベンチに座り続けていた。

真っ暗闇の海。本庄は立ち上がって手すりに
向かい、スケッチブックを海にかざした。

そっと手を離す。
暗闇に静かに消えていくスケッチブック。
それは朱家角の女のお葬式のようだった。

             −完−
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