もんがまえ
闘
書は矛と盾である。
其処には白と黒しかない。
黒を吸い尽くそうとする盾と、白を貫かんとする矛。
矛盾した思いが一つになる時、私は筆を落とす。
[闇]と書くことにした。
初めの一画を清らかに引く。左の門と対になる右側は、やや右上がり。音はあくまで静寂に…。
一寸の光もない。
完全無欠の[闇]
ふと顔を上げる。
…彼女だ。
だがしかし、彼女は私を視ているのではない。彼女が興味があるのは私の手元。
即ち、私の書だ。
「では、門構えの漢字を一つ」
お題を出すと、畳がざわつく。そうしてしばらくの後、なにも聞こえなくなる。何も。
私はこの有無を言わさない書の力に、未だに圧倒される。
やがて出来上がる書に、同じものは一つとして存在しない。書は運命。たった一度の、それでいて短命。
「…お願いします」
か細い声で彼女が差し出す。
私の前に置かれた命には[問]と書かれていた。
とても女性が書いたとは思えない立派な門構えの中に、その口は笑っている。彼女の書にはいつも表情が有った。時に哀しく、時には悲しく。
ただ…。
「これは門構えじゃありません」
「えっ…」
「体に関係したものはそちらが優先されます。あと二つ、間違えやすい門構えが」
しばらく首を傾げていた彼女は、耳に手を当てた。
私は一つ頷くと、半紙に新たな命を吹き込む。
墨を撫でつけ、矛が盾に触れた時、彼女がハッと息を呑むのが分かった。盾に描かれた柄は[聞]。耳を彫り込んでいる最中も、痛いほど視線を感じる。瞬き一つしない、射る。
「それからもう一つ」
少し乱暴な門。
息つく間もなく、荒々しい心を入れ込もうか。最後の二つの点を叩きつけると、彼女の口から小さな悲鳴が漏れる。
[悶]
その様は滑稽であり、興味深いものでもある。
彼女は半紙だとでもいうのか。となると、さしずめ私は筆なのだろう。
居住まいを正して書に立ち向かう彼女は、確かに凛と美しい。己に刻む文字を考えている。
押し付けがましくない、流れに沿った門構え。門であるのに、柳のようにしなやかだった。中央にはなにが鎮座する?人か?木か?各か乞か?
いつしか私は筆の行方に釘付けだった。
女性的な門構えの中におさまったのは、真一文字の一。
[閂]
どういうわけか、彼女が紅を引く瞬間が思い出され、その薄い上唇を視ていた。いや、射ていた。
いやはや滑稽。
自嘲気味に笑みを浮かべながらも、筆を取った。彼女が視ている。いや、視るがいい。
書は闘い。
白と黒、
矛と盾、
あなたと私。
全身の力を指先にこめ、出発する。もう後戻りはできない。振り返りもしない。ただ進むのみ。
この血と魂で書き上げた門構え。
左半分に豆を。
これが答え。
右半分には寸を。
これが書である。
これこそが。
[闘]
其処には白と黒しかない。
黒を吸い尽くそうとする盾と、白を貫かんとする矛。
矛盾した思いが一つになる時、私は筆を落とす。
[闇]と書くことにした。
初めの一画を清らかに引く。左の門と対になる右側は、やや右上がり。音はあくまで静寂に…。
一寸の光もない。
完全無欠の[闇]
ふと顔を上げる。
…彼女だ。
だがしかし、彼女は私を視ているのではない。彼女が興味があるのは私の手元。
即ち、私の書だ。
「では、門構えの漢字を一つ」
お題を出すと、畳がざわつく。そうしてしばらくの後、なにも聞こえなくなる。何も。
私はこの有無を言わさない書の力に、未だに圧倒される。
やがて出来上がる書に、同じものは一つとして存在しない。書は運命。たった一度の、それでいて短命。
「…お願いします」
か細い声で彼女が差し出す。
私の前に置かれた命には[問]と書かれていた。
とても女性が書いたとは思えない立派な門構えの中に、その口は笑っている。彼女の書にはいつも表情が有った。時に哀しく、時には悲しく。
ただ…。
「これは門構えじゃありません」
「えっ…」
「体に関係したものはそちらが優先されます。あと二つ、間違えやすい門構えが」
しばらく首を傾げていた彼女は、耳に手を当てた。
私は一つ頷くと、半紙に新たな命を吹き込む。
墨を撫でつけ、矛が盾に触れた時、彼女がハッと息を呑むのが分かった。盾に描かれた柄は[聞]。耳を彫り込んでいる最中も、痛いほど視線を感じる。瞬き一つしない、射る。
「それからもう一つ」
少し乱暴な門。
息つく間もなく、荒々しい心を入れ込もうか。最後の二つの点を叩きつけると、彼女の口から小さな悲鳴が漏れる。
[悶]
その様は滑稽であり、興味深いものでもある。
彼女は半紙だとでもいうのか。となると、さしずめ私は筆なのだろう。
居住まいを正して書に立ち向かう彼女は、確かに凛と美しい。己に刻む文字を考えている。
押し付けがましくない、流れに沿った門構え。門であるのに、柳のようにしなやかだった。中央にはなにが鎮座する?人か?木か?各か乞か?
いつしか私は筆の行方に釘付けだった。
女性的な門構えの中におさまったのは、真一文字の一。
[閂]
どういうわけか、彼女が紅を引く瞬間が思い出され、その薄い上唇を視ていた。いや、射ていた。
いやはや滑稽。
自嘲気味に笑みを浮かべながらも、筆を取った。彼女が視ている。いや、視るがいい。
書は闘い。
白と黒、
矛と盾、
あなたと私。
全身の力を指先にこめ、出発する。もう後戻りはできない。振り返りもしない。ただ進むのみ。
この血と魂で書き上げた門構え。
左半分に豆を。
これが答え。
右半分には寸を。
これが書である。
これこそが。
[闘]