何日間か経ち妻も疲れがピークを迎えていました。
彼はやはり発作は止まらず苦肉の策で即効性のある強い薬を点滴から入れ、直接血中に流し込む方法をとっていたんです。量もギリギリのところで調整しながら肝機能の検査を同時に何べんも行い、副作用が出ないように試みていました。

濃度がやはりうまく上がらず、上がった時は薬の効力が有する期間は止まり、切れる時間になるとまた始まるといったものでした。
〔今やっている治療はあまり長く使えないんです。やはりリスクが大き過ぎます。だから飲む薬の調整をしたいんですが、私も彼の状態をどうにか止めたい、神経科を専門としていますが彼は難治性てんかんで非常に難しいんです。だから大学の先生や専門の施設等にも聞いています。〕

と担当医からいわれたんです。
ショックなのは難治性という言葉でした。
意味としては様々ですが、重い病気として診断されてしまったことや治らない病気だとレッテルを張られたこと、医師も困っている様子に心の頼り場所を失ってしまったこと、この先どうなっていくのか予測不能になってしまった事など訳が分からなくなりました。 しかし妻は違っていたんです。

〔難治性とはどういうことですか?
まずは止めにいかないといけないですよね、今が大事なんですよ今が、私も勉強を始め、変化する発作があまり良くないのは一番近くにいるので分かります。しかし息をして頑張っている彼をどうにかしたいんです。
この病院で見切れないのなら紹介して下さい。何処へでも行きますから。〕

泣くことや後ろを振り返ったりせず、力強い声で言っていました。そうなんです、妻は彼の状態を受け止め、受け入れる事が出来ていたので、前を向いて歩き出していたんです。私は取り残されていました。
何故なら受け入れられていないんです。
わかっていても難しいですよ、難病だなんてまさかとしか思えない、だから妻とも口喧嘩というか意見の食い違いが度々ありました。今置かれている位置が遠く離れた場所にいるんですから、妻の求める答えまで私が到達していないんです。
話をするのも疲れたでしょうね、次元の違いで私は馬鹿にされたように思ってしまい、訳分からず理想論を並べ逆切れをしては存在感をアピールし、俺だって頑張ってるんだと自己中心的にものを考えてしまっていたんです。
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