スミダハイツ~隣人恋愛録~
麻子が重い体を押して会社から帰宅したのは、夜9時を過ぎた頃だった。
好きなことを仕事にしているのだから残業はそれほど苦ではないが、やはり体の疲労は誤魔化せない。
最寄駅からとぼとぼと歩いていると、向こうに自宅アパート『スミダハイツ』の明かりが見え、麻子はどこか安堵した。
『スミダハイツ』は築20年ほどが経過しているおんぼろの物件だが、室内は古きよき味わいを残しつつ、綺麗にリノベーションされている。
2階建てで全6室あるうちの、麻子は2階の202号室に住んで3年目だ。
錆びた鉄製の階段をのぼり、部屋の前で鍵を取り出すために鞄を漁っていたら、隣のドアが開いた。
「遅ぇよ。待ちくたびれたぞ」
201号室の住人・榊 カズマが、足音を聞き付けたのか、ドアから怪訝な顔を覗かせて、
「また残業かよ。そのうち過労死するぞ、お前」
待っててくれたの?
と、麻子は今更なことを思ったが、聞かずにおいた。
榊は髪の毛をくしゃくしゃっと掻き、
「酒ある?」
「あるよ。こっちに来る?」
「おー。つまみ持って行くわ」
榊は、言うなり一旦室内に引っ込んだ。
麻子も鍵を開けて自室に入る。
電気をつけ、春物の淡いピンクのジャケットを脱いでハンガーに掛けたタイミングで、ドアが開いた。
咥え煙草で勝手知ったるように部屋に入ってきた榊の手には、パック詰めされた焼き鳥が。
「うっわー、いい匂い。お腹空いてきちゃったぁ」
「待て、待て。その前に酒を出せ」
麻子は急いで冷蔵庫から缶ビール2本を持ち出す。
榊はローテーブルの上に焼き鳥を広げた。