平穏な愛の落ち着く場所
『崇さん』
『ん?』
彼がネクタイを結ぶ手を止めて、甘く蕩けそうな笑顔で見るから、千紗は膝から力が抜けそうになった。
『どうした?』
これは勘違いじゃないのよね?
あなたも私に言うべき言葉があるわよね?
笑いながら抱き寄せられて、素直にワイシャツの胸に額をつけ腰に手を回した。
『千紗』
私の想いに応えるようにぎゅっと抱き締められて、期待に胸が膨らんだ。
『行かないでって言うなら止める』
『言わないわよ』
彼の言葉に落胆して、ため息混じりに答えた
『だよな』
それでこそ千紗だと、くくっと笑って強く唇が重ねられた。
私はあなたを愛してると言ったのよ
まさか、この期に及んで昔のような関係に
戻れるとでも思っているの?
そうなのかも知れないと思ったら
怒りと共に例えようのない悲しみが込み上げてきた。
もう二度とこの人を失いたくない
でも、バツイチで子供がいるのを押し付け
てまで愛してほしいと縋ったりするなんて
惨めなことは死んでも嫌だ。
勢いであんな風に言うべきではなかった
今さら後悔したところでもう遅い
『私……』
一度離れた唇が、角度を変えて所有欲をむき出しにした激しいキスに変わった。
舌を差し込まれて、身体が蕩けそうになったところで仕方無さそうに唇は離された。
『週末の件は別の手立てがないか、考えてお くから心配するな』
週末……
そうだったわ、今の私にはその事があった
『ええ……』
崇は不安そうな顔で瞳が揺れる彼女を見て
本気で仕事へ行くのを止める気になってきた。
『やっぱり行かないでって言えよ』
からかうように耳朶を噛まれて囁く熱い吐息に、全てを投げ出しそうになるのを千紗はなんとか意思の力で引き剥がす。
『言わないってば』
彼の胸を少し押して、結びかけのネクタイに手をかけた。
『それに週末の事はそれほど心配していない
のよ、義母は根は悪い人ではないし南原さ
んだってわかってくれるはずだから』
『なぜそんな能天気な事を言える?』
『私が野口とやり直せない本当の理由を話 せば彼らだって諦めるわ、この間の事だ
ってあるし』
何の気なしに口を出た言葉の意味に気づかず
千紗はネクタイを整え、満足のいく形になると笑顔で彼を見上げる。
『なんだって?』
待ち構えていた怒りの瞳に、さっきあえて話さなかったことを思い出した。
『あっ……』