平穏な愛の落ち着く場所
『変な気……』
千紗は何とかそれを口にした。
『いずれ彼女との間にも子供が出来る。
紗綾はおまえの子だ』
言外に自分の子ではないと言っているのを
聞いて、千紗はカッとなった。
『紗綾はあなたの子です!』
『どうだかな、おまえは俺が初めてって
訳じゃなかったし』
信じられない……今の今までそんな事を
疑われるなんて思ってもいなかった。
『必要な検査をすればわかります』
『だから、必要ないんだって。
親父たちも、紗綾の姓を変えさせる方が
いいだろうって言っているし』
『何ですって?』
『そもそも離婚を言い出したのは
おまえの方だ。それなのに、野口を
名乗っているのはおかしいだろ?』
『それは紗綾があなたの子だから…』
『だから、森澤にしろよ』
これは現実なの?
千紗は足元がぐらぐらと揺れているのを
感じていた。
離婚を決めた時、もうこれ以上悪い事など
ないのだと、自分に言い聞かせた。
実家に頭を下げ続け、義理の両親からは
男の子をせがまれる日々……
そして何より、この人の威圧的な言い方に
逆らえず、最後は組伏せられて
頷くしかない日々に、結婚の誓いを破り
自ら終止符を打ったのだ。
神様は愚かな過ちをまだ赦さないと言うの?
『紗綾がかわいくないの?』
千紗は絞り出すように掠れた声で言った。
『そうは言ってない』
『正直に言って』
『別に憎いわけじゃない。
だが、おまえが可愛がれば可愛がるほど
そうは思えなくなっていた』
ああ…神様……
千紗は心の底から悲しみが溢れてきた。
『何だよ、そんな顔して俺を責めるな!
正直に言えって言うから言ったまでだ』
『わかりました』
『そうか、ならば今月中に……』
『苗字に関しては考えてみます、
養育費については弁護士さんを通して…』
『弁護士!!
おまえは俺の立場をわかってない!』
大きな声で怒鳴られて、思わず昔を
思い出して小さくなる。
それを見て、元が笑った。
『千紗、おまえに何ができる?』
そうよ、弁護士を雇うお金はない……
どうやってこの人と戦えばいいの……
ふと、彼の声が頭にこだました。
《怯えるんじゃない!!》
そうよ、私はもうあの頃の私じゃない!
『あなたの立場なんて、知りませんし
わかりたくもない!』
『何だと?!』
『とにかく、そちらの事情はわかりました
今後の事は追って連絡します!』
何か言われる前に、助手席を飛び出して
一目散にマンションに駆け込んだ。
追いかけてくる気配はない。
千紗はその場に崩れ、座り込んで涙した。