平穏な愛の落ち着く場所


奪うように重ねた唇で、彼女の言葉を
飲み込む。

さっきうるさい口を黙らせる為にした
キスで、崇の理性のたがはとっくに
外れていた。

更に深めると、ついに彼女が降伏し、
柔らかく応えはじめた。

もっとだ……もっと彼女が欲しい

『崇…さん……』

切なく自分を呼ぶ声で背中にしがみつかれて
崇は雷に打たれたような衝撃を受けた。

すべてが、彼女が去ってから何年もの間
満たされない自分が求めていたものが、
今、はっきりとわかったのだ。

誰かとベッドを共にしても、いつもこの
手を背中に感じたいと思っていた……
心地好いソプラノが、自分の名前を
呼ぶ声が忘れられなかった……

俺は…千紗を……

ダメだ!

馬鹿だと言われるかもしれないが
心のなかで自分の気持ちに首を振った。

ゆっくりと唇を離して、彼女を見下ろした。

上気した頬と潤んだ瞳、
細い身体の中にある強く慈愛に満ちた心。

全部、俺のものだった……

ついさっき否定した感情の波が
押し寄せてきて崇は彼女を抱きしめた。

『崇さん……』

今は何も言えないし、
不安そうな声の彼女から何も聞きたくない。

臆病者と言われようとも、今、何かを
話す勇気を、持ち合わせていない。

冷静になって考えなければ。

『社に戻る!』

唐突に千紗を離した。

『え?!お仕事?!』

『途中で抜けてきたからな』

鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔の
彼女を見て、少しだけ崇の気分が上向いた。

『なんだよ、おまえが電話してきたんだろ』

『私の為に帰ってきてくれたの?』

『別に……それだけじゃない……』

ばつが悪くなって、床に散らばる羽を
指差した。

『とりあえずそれを片付けろ!』

『あっ……新しいものを弁償します』

『好きにしろ』

必要ないと言っても聞かない事は、
わかっている。

彼女の事は、自分の事よりわかっている。

その事に気づいて、崇は顔をしかめた。

『ごめんなさい……』

『それから、出張のスーツケースが
 玄関にそのままあるから、
 中身を片付けておいてくれ』

『わかりました』

『じゃあ仕事に戻るから、おまえも
 適当な時間で帰れ』


今は冷静になる必要がある。

お互いに。


でも一つだけ、はっきりとわかっている。


彼女は……千紗は……

俺のものだ。



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