平穏な愛の落ち着く場所
崇は長い沈黙のあと、グラスに新しく酒を
注ぎながら、観念したように言った。
『…………千紗だ』
『千紗って……確か大学の頃からしばらく
付き合ってたあの森澤さん?』
崇はしぶしぶ頷いた。
『は?彼女はおまえを捨てて結婚したん
じゃなかったのか?!』
『捨てられてねえよ!ったく、いいか……』
やけくそになって、崇はこの一ヶ月に起きた
ことを、自分の勘を含めて話し出した。
案の上、フェミニストの蒼真は離婚の原因を
話した所で怒りを露にして、崇をニヤリと
させた。
『先ずは野口元を何故生かしているのか、
それを説明しろ!』
『あいつはそのうち痛い目に合わせるさ』
『その時は協力を惜しまない』
『覚えておくよ』
『それで?おまえは何をぐだぐだ思って
悩んでいるんだ?』
『何をって、昔のような関係にはなれない
だろ?彼女には子供もいるし』
『はあ?だから?』
呆れたような言い方をされて、崇はムッとした。
『俺は、結婚はできない』
『おまえ馬鹿?』
『なんだと?!』
蒼真は首を振って席を立とうとした。
『待てよ!!』
蒼真は掴まれた腕の痛みを振り払って、
座り直すと崇を正面から見た。
『おまえ何様のつもりだよ、いいか、
森澤さんはおまえに結婚してくれって
言ってるのか?付き合っていた時には
そんな態度を一度だって取ってないと
記憶してるけど?
おまえが結婚してくれないとわかって
いたから、別の男…それもろくでもない
男と結婚したんだろ?』
『…………』
崇は言い返す言葉が見つからないのか
押し黙ったままだ。
『それに、たぶん彼女は結婚なんて
こりごりだと思っていると思うぞ?』
『ならば、俺はどうしたらいいんだよ!』
『結婚云々よりもその前の段階を踏めよ、
賭けてもいいが、結婚なんて仄めかして
見ろ?こてんぱんにやられるぞ?』
『前の段階?』
本気で問い掛ける崇に、蒼真はうんざりした顔でため息をついた。
『おい、勘弁してくれよ!今さら
三十の男、それも親友に恋愛のいろはを
教えるつもりはないぞ!』
『あぁわるい……』
『おまえが結婚にネガティブなのは、
それなりにわかっているつもりだ。
でもな、同じ轍を踏むのを怖れるなんて
らしくないだろ?おまえはそんな事に
怯える男じゃない』
『断言かよ』
『ああ、俺の知ってる加嶋崇は自分で
決めた道を外れる事はしない。
考え方を変えて見ろよ、逆に』
『逆に?』
『自分には愛が存在しないと認めるんじゃ
なくて、これだと思った愛を貫くってさ』
それは思ってもみない考えだった。
崇は目が覚めるような思いがした。
急に目の前が開けて明るくなった。
『蒼真、やっぱりおまえ職業変えろよ』
『誉め言葉として受け止めておくよ』
笑いながら向けた拳に、同じく笑って
拳がぶつかった。
『なあ、相談に乗ってやったお礼に
一つ正直に答えろ』
『嫌だね』
『なるほど、それが答えだとしたら
五年も時間を無駄にして御愁傷様』
『るせーよ!』
蒼真は笑いながら美味しそうに酒を飲んだ。