平穏な愛の落ち着く場所
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自分を呼ぶ彼そっくりの男の子が
無邪気に走り回っている。
私はそれを見て、なんて幸せなんだろう
と心の底から笑っている。
そんな日々を何度空想し夢見ただろう……
現実には決して訪れない日々
彼は望んでいない日々
一ヶ月……もう限界よ
彼だって、誤魔化す私にそろそろ痺れを
切らして強引に聞き出そうとするはず
涙だって、枯れ果ててしまってるわ
千紗はかき集めた覚悟で、ついに彼の誘い
に応じる事にした。
いつものホテルで彼を待つ間、時計の針が
終わりへのカウントダウンを刻んでいた。
今日が最後、そう思うと中々ベッドから
出られない私の思いを、何かしら感じているのか、彼は積極的に私の求めに応じた。
『千紗、そろそろ本当の事を言えよ』
激しいクライマックスの後、荒い息を調え
ながら、彼は私を引き寄せた。
優しく髪を解かれて、胸の奥が悲鳴をあげる
あなたを愛しているの!
言えない言葉を悲しみと一緒に必死で
飲み下す。
笑うのよ、千紗!
惨めな顔で困らせたりしたらダメよ
彼の記憶に、面倒な女だったなんて
残りたくない
『あのね、今日が最後なの』
『何が?』
『こうして、あなたと逢うのが』
『何で?』
『私……結婚するのよ』
永遠に思える沈黙のあと、彼は閉じた瞳を
静かに開けた。
『…………そうか』
シンプルに一言。
彼は受け止めただけだった。
期待していなかったなんて言ったら
大嘘だけど、眉ひとつ変わらない彼の表情は
返って私を笑顔にさせてくれた。
『父がもう決めてしまったの』
『わかった』
そう言って彼はベッドから降りると
シャワーへ向かった。
しばらくボーッと、バスルームのドアを
見つめていた。
これでおしまい……
枯れ果てたと思っていた涙は、まだ私の中に残っていたようだ。
のろのろと起きて、服を着た。
『帰るのか?』
シャワーから戻った彼の顔は見られなかった
うつむいたまま鞄を持った。
『千紗……』
ドアの前までゆっくりと歩いて、
持てる意識を総動員してノブをぎゅっと
掴んだ。
笑顔よ、千紗、笑うの。
彼の記憶に残るような笑顔を見せるのよ。
短く息を吐いて、頭の中に楽しかった記憶を
甦らせて振り返った。
『仕事、あまり無理をしないでね、
今までありがとう』
彼がはっと息を飲んだ。
『さよなら、崇さん』
勇気を掻き集めて、扉を押した。
エレベーターホールまでの短い距離を
愚かな心がゆっくり歩かせる。
震える指でボタンを押した
ポーンと音がして、点滅した扉が開く
部屋の扉が開く音は聞こえてこなかった。
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