平穏な愛の落ち着く場所



園を出ると、ぎゅっと掴まれた手から
小さな緊張が伝わってきた。

当然だ、大丈夫だと説得されたとはいえ
初めて会った大人の男と二人きりにされる
のだから、不安でたまらないだろう。

崇は立ち止まって、園長と同じように
屈んで膝をついた。


『ママの友達の加嶋崇だ』

改めて自己紹介すると、意外な答えが
返ってきた。

『たかしおじさん、しってるよ』

『え?』

『さえこちゃんの、いばりんぼのいとこ』

冴子のやつ!!

『ああ。でもナイショだけど……』

崇は小さな耳に口を近づけ、そっと囁いた。

『本当のいばりんぼは冴子の方なんだ』

『しってるよ』

今度は俺の耳元に小さな口が囁いた。

『こうすけがいってた』

離れて瞳が合うと、千紗そっくりの笑顔で
ニコッと笑われた。

思わず崇の顔が綻んだ。

立ち上がって小さな手を引き歩き出す。

『ままのおけが、だいじょうぶ?』

ぎゅっと手を引かれて、この娘の不安は
そっちの事だとわかった。

崇は何故かこの娘に、嘘や誤魔化しで
傷ついて欲しくないと思ってしまった。

『実は何ともないんだ』

『まま、ずるしたの?』

小さな顔が一丁前に渋く歪んだのを見て
崇は思わず笑ってしまった。

ちくしょう!なんてことだ!

この短い時間で、
俺はすっかりこの娘の虜だぞ!

『ズルとは少し違うな。
 たまにはママも休まないといけない』

『おじさんがやすませたの?』

『ああ』

紗綾は立ち止まって、崇の脚に抱きついた

『ありがとお』

なんだって?
幼い子供のする発言じゃないぞ!

崇は衝動的に紗綾を抱き上げた。

『ままは、はたらきすぎなの』

首に巻き付けられた柔らかい腕に、
たまらなくなる。

『俺もそう思うよ』

『おとうさまが、またいじわるして
 ままをいっぱいこまらせてるの』

なにっ?!

『何を意地悪してるんだ?』

『わかんない……でもこのまえ
 おとうさまがきてから、ままはこまった
 おかおをたくさんしてる
 そして、たくさんはたらいているの
 おうちにいたときも、ままはたくさん
 ないて、それでいまのおうちにきたの』


崇の中で殺人的な怒りがこみ上げてきた。

野口元を間違いなく地獄送りにしてやる!

紗綾を抱く腕に力がこもる。

『おじさん、くるしいよ』

『ああ…すまない』

意識して腕を緩めて、横抱きに抱き直して
から、また歩き出した。

< 71 / 172 >

この作品をシェア

pagetop