平穏な愛の落ち着く場所

リビングの扉を閉めると、千紗は深呼吸して
崇を振り返った。


『おまえ何を考えてるんだ?!』

『何も考えていません』

『は?』


昨日の事なら何も考えたくないのよ!

あなたの気まぐれに付き合うほど
暇じゃないし、私の気持ちを優先させて
あなたとの関係を楽しむなんて無理よ。

わかってよ!

私にどうしろっていうの?

愛してはもらえないあなたを
求めるだけの私にはなれないのよ

あの頃とは違うの

今の私には娘がいるのよ

紗綾を巻き込めないわ

これ以上あなたになついてしまったら、
あの娘まで傷ついてしまう


『なかった事にはできないぞ!』

怒りを含んだ声に怯みそうになる

『してください』

『本気で言ってるのか?!』

彼の怒りが増していくのを感じる

『ええ』

『千紗!!』

咄嗟に、叩かれる!そう思って
ぎゅっと瞳をつぶって身構えてしまった。

何も起きないので、恐る恐る瞳を開け
ると、怒りを堪える彼の苦しそうな顔が
こちらを見ていた。

叩かれると思った手は、白くなるほど
強く握りしめられている。

『………殴られたのか』

『えっ……』

『あの男はおまえを殴ったのか?』

『そんなことは……』

何を言うのよ!と
怒りに任せてこの場を出ていけばよかった。

でも、元夫に初めて逆らった日に、
生まれて初めて叩かれた頬の痛みは
忘れることができない。

千紗はつい頬に手を当ててしまった。

あの人はコントロールできない怒りを
ぶつけた後に人が変わったように
優しくなった。

それが典型的なDVだと知らなかったら
まだあそこにいたんだと思う。

でも大学の時、友人が思いきりはまって
しまい、彼女を助ける為に様々な手助けを
してきた私は知っていた。

誰にも相談できず苦しんだ日々が
まざまざと蘇る。

夫の暴力がエスカレートする前に
娘に手を出される前に家を出なければと
それだけを思い、なんとか自力で離婚に
こぎ着けたのだ。

『あなたには関係ない』

『ちくしょう!千紗、いい加減にしてくれ』

引き寄せられて、彼に強く抱き締められた。

『関係ないなんて言うな』

ぎゅっと力が込められて、苦しくなる

より苦しいのは胸の奥……

『やめて……お願い、こんなことされたら
 勘違いしてしまうわ』

『勘違い?』

あなたも私を愛していると……

そんなわけないのに……


『ままーまだあ?』

玄関から娘の声がして、千紗はぐっと
彼の胸を押して離れると、扉を開けた。


『昨日はありがとう』


『おいっ!!』


彼女は振り返らないだろう

崇は追いかけても無駄だとわかった


『紗綾、行きましょう』

バタンッと玄関のドアが閉まる音がした。


崇は茫然とそちらを見つめていたが
仔犬のクンクン鳴く声が聞こえて、
ようやく我に返った。


俺は間違えたのか?


やはり、いろはのいから始めるべき
だったのだろうか?






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