ベイビー&ベイビー
「だって私、結婚してるし」
「は? ……えー? だって、そんなこと聞いたことないよ。いつ結婚したの?」
「いつって。そりゃ、拓海くんと出会う前にだよ」
「ってことは……在学中ってこと?」
「そ、大学在学中に結婚したの。だから谷は結婚後の苗字で、結婚前の苗字は木ノ下」
「え?」
まじまじと目の前のさやかを見つめる。
いつもどおりの冷静な態度のさやか。
とても嘘をついているとは思えない態度が、ますます俺を混乱させた。
「木ノ下って……」
ひとつの可能性を肌で感じて、さやかに聞くと、さやかは何事もないような様子で頷いた。
「そう。木ノ下涼太郎の妹よ」
「!」
衝撃的なさやかの発言で、俺は吃驚したが、それでかと納得もした。
さやかは字のごとく、何事も知っていたのだ。
俺より、明日香より、涼太郎より。
何もかも、第三者の立場で知っていたのだ。
自分の兄である涼太郎と明日香が昔付き合っていたことも。
そして、明日香の気持ちを感じ取っていたさやかは、明日香が昔からの恋心を忘れられず、涼太郎と別れることになったことも。
明日香の想い人は俺であるということ。
俺が明日香のことを気がついていないだけで、好意を持っていたということ。
そして、つい先日、明日香と涼太郎がよりを戻したということも。
だからこその俺への忠告だったというわけだ。
近々、明日香と涼太郎のスキャンダルが明らかになる。
そのときに気がつくでは遅いのだと。
さやかは俺に遠巻きに知らせてくれていたということなんだろう。
しかし、ひとつ疑問があった。
「谷さん」
「なに?」
「俺が沢 拓海だってことも知っていたんでしょ? それってお兄さんから聞いていたの?」
「ううん、拓海くんの素性はもっと違うところから仕入れていた」
「違うところ?」
まだ何かさやかには隠された秘密があるのだろうか。
もう、何を聞いても驚かないぞとさやかの言葉を待ったのだが。
やっぱり驚かされることになった。
「拓海くんの素性はね、九重のじいちゃんからだよ」
「九重って。あの代議士の?」
「そう。九重のじいちゃんは、私の旦那の祖父なの」
「……」
「世間は狭いのよ、拓海くん」
ニヤリといつものように笑うさやか。
俺はやられた、とデスクにうつ伏せになった。