ベイビー&ベイビー
「リチャードが言ってたよ。拓海くんはいつも眉間に皺を寄せてて、ロスに来てからというもの笑っているところを見たことがないって」
「……リチャードから聞いていたの?」
「リチャードが教えてくれていたの。どうも九重のおじいちゃん経由で、拓海くんのおじいさんに伝わって、それで、」
「リチャードに伝わっていたということか」
俺が、苦笑していると明日香は心配そうに顔を覗き込んできた。
「お仕事、大変?」
「ん、まあね」
そういって本当の理由から逃れると、明日香は瞳をパシャパシャと瞬きをして俺を見つめる。
久しぶりに覗く明日香の瞳の色。
やさしげな瞳が揺れる。
俺はこの瞳をずっと見たかったんだ、と明日香を目の前にして思った。
下をうつむいた明日香は小さく呟いた。
「拓海くん、あの時言ったよね?」
「え?」
「ずっと笑っていてって。私に言ったよね?」
「……うん」
確かに言った。
苦し紛れの俺のごまかしの言葉。
もちろん、明日香にはずっとあの笑顔で笑っていてほしかった。
その言葉に嘘はない。
ただ。
あの時の俺は、本当は……。
違う言葉を言いたかった。
好きだと。
愛している、と。
君を離したくない、と。
しかし、離してしまった手。
離してしまった、明日香の心。
俺はあの後、どれだけ後悔したかわからない。
ただ、自分に何度も言い聞かせた。
俺なんかより、明日香ちゃんを幸せにしてくれる男がいる。
そう暗示するかのように言い聞かせてきた。
だが、目の前の明日香は結婚をしていないという。
どうなっているのだろうか。
「私……笑えなかったんだ」
「え?」
「会社やめて、拓海くんと会えなくなって」
「明日香ちゃん?」
「そしたら、涼さんに婚約破棄だって言われちゃった」
「……」
「でもね、ほっとしたの。結婚しなくていいんだ、って思ったら。それって、すっごく涼さんに失礼だよね」
「明日香ちゃん」
そういって肩が震える明日香。
いつも笑顔でいっぱいの明日香の顔。
涙を流す表情は初めてみたかもしれない。
真っ赤な目をして、零れる涙はキラキラと輝いていた。
純粋に、綺麗だと思った。
一生懸命涙を拭う明日香。
俺は、そんな明日香にポツリと呟いた。