君にすべてを捧げよう
【3】
とうとう二日後に、あたしは蓮と結婚式を挙げる。
興奮しすぎて人格崩壊しかけている母親二人の先導によって行われる式は、当初の計画通り、新郎新婦は見事なまでにお飾りである。
母親の方がお色直しの回数が多いって、ナニ。
さておき、式を間近に控えたあたしであるが、存外、のんびりした日々を送っていた。
用事と言えば、ブライダルエステ(勿論、麻美さんに頼んだ)やネイルサロンに通うくらいである。
余りにのんびりしているものだから、遊びに来たつぐみに、「あれ? 結婚式ってもう終わったんだっけ?」などと軽い嫌味をいわれるくらいだ。
しかし何と言っても、母親二人にすべてを託し、自ら蚊帳の外に出て行ったのだから、これくらいの余裕はあってしかるべきであろう。
けれど、蓮は忙しい。
「多分いける」
と断言していたくせに、原稿を一つ、落としかけているのだった。
マンションを引き払い、唯一の仕事場と化した離れで必死にキィを叩いているが、はてさて、間に合ってくれるだろうか。
眠気覚まし用にエスプレッソを持って様子伺いに行ったあたしに、
「どうせお飾りなんだから、俺の席に高梨か馬渡くんでも据えておいたら問題ないよな」
などと半ば本気の目で言いやがったから、今回はかなり切羽詰まっているようだ。
「間に合いますかねえ、先生」
「さあ。どうでもいいです」
先のふざけた台詞に、あたしは腹を立てていた。
母親たちに結婚式の準備を託したあたしであるが、さすがに、譲れない一点がある。
それは、『蓮が横にいる』、それだけだ。内容がどんなものであれ、『蓮と一緒』であればそれでよかったのだ。
なのに、冗談とも知れない顔つきでふざけたことを言って!!
ぷつんと堪忍袋の緒が切れたあたしは、思いつくままに蓮に文句を言った。
優しいことや甘いことを毎日囁いてくれなんて言わないけど、少しくらいあたしの気持ちを考えろとか、結婚ってお金じゃないとか(これは、エンゲージリングはお金だけ渡されて、瑞穂さんと買いに行けと言われたのだ。悔しくて買ってない。マリッジはもう、母親たちに任せた)。
そんなあたしに対し、蓮は不機嫌そうに無言を貫き、それ以来蓮とは口をきいていない。
結婚式前に何をやってるんだと思わなくもないけれど、こちらから折れるのも嫌なのだ。
あの台詞に関して蓮が謝罪してくるまでは、絶対に許さない。
「めぐるさん、なんだか機嫌悪いですねえ。あれですか、マリッジブルー? それとも生理痛とか」
「高梨さんには関係ないです。ていうか、我が家には△△社の方は立ち入り禁止ですけど」
「あー、また言ったぁ。それは、すいませんって何度も言ったじゃないですかぁ。ボクだって止めたんですけど、みんな悪ノリしちゃって聞き入れてくれなかったんですってばぁ」
色を変えた葉を揺らす風に冬の気配を感じる、穏やかな昼下がり。
日当たりのよい縁側で、あたしは蓮の担当編集の一人である高梨くんとあったかいほうじ茶を飲んでいた。お茶請けは、高梨くんの手土産の翡翠堂の白玉最中である。さっくさくの最中の中に、艶のある甘さ控えめの餡ともちもちの白玉団子が入っていて堪らなく美味しい。
そんな高梨くんは、例の『大人の玩具セット』を祝いの品として送り付けてきた、あの出版社の社員である。
あたしより一つ年上だが、童顔で頼りない雰囲気の高梨くんは、人に甘えるのが妙に上手い。
△△社関係者絶対敷地内侵入禁止! を掲げていたあたしであったが、
「本当にすみません。反省していますぅ」と涙混じりに言われ、しかもお詫びにと入手困難な有名和菓子店の金つばなんぞを捧げられて、「じゃ、じゃあ高梨さんだけ、は」と折れてしまったのだった。
断じて、食べ物につられたわけではないことをここに明言しておく。
「先生、どんな様子かなぁ」
「さあ、ねえ」
「……そういえば、その」
「ん?」
もぐもぐと咀嚼しながら高梨くんの方を見ると、彼は、はにかんだ様子であたしを見返していた。
「なに?」
「ええと、その。聞きたいことがあるんですけど」
「うん」
「編集部からの品って、ちゃんと使ってくれました?」
「げふぉっ!」
咽かえった。
つるんと喉の奥に流れ込んだ白玉のせいで、呼吸困難になる。
慌ててほうじ茶を飲み、事なきを得たが、げほげほと咳込むのは止まらない。
「だ、大丈夫ですか、めぐるさん!」
「た、高梨くん、帰、れ……っ!」
最中の箱のふたを掴み、焦った高梨くんの頭を叩く。
薄い紙のふたは、パコンと情けない音を立てた。
「冗談ですってばぁ! 嘘、嘘です。そういうことはどうでもいいんです。れんた先生が使わないわけないですし」
「帰れ、バカ!」
苦しさのあまり涙が滲み、顔を赤くしていたあたしだったが、別の意味でますます赤らむ。
『使わないわけがない』とか断言するな!
返答に困るでしょう!!!
「怒らないでくださいよぅ、めぐるさん。ボクが本当に訊きたかったことはですね、その、野苺社のあの美人さん、彼氏とかいるんでしょうか?」
「は?」
あの美人さんって、瑞穂さんのこと?
なんで、高梨くんが瑞穂さんの彼氏が気になるわけ?
と、よく見れば、彼は恥じらうように頬を染め(男なのにその仕草が妙に似合うのが恐ろしい。あたしよりかわいらしくみえるのではないだろうか)、重ねて訊いてくる。
「あの美人さんですよ。ほら、二人の結婚が決まった時、ここに駆け込んできて泣いてた」
「ああ」
やっぱり瑞穂さんだ。
蓮と結婚することになったと、一番の恩人である瑞穂さんに報告の電話を入れたら、瑞穂さんは取るものもとりあえずといった様子で我が家へ駆けつけてくれた。
『よ、よかったぁ……。よかった……』
瑞穂さんはあたしを抱きしめ、ぽろぽろと涙を流して泣いてくれたのだった。
その時丁度、高梨くんもいた、んだったっけ?
瑞穂さんと喜び合ったことしか、残念ながら覚えていない。
そうか、高梨くんはそのときの瑞穂さんに惚れてしまったと、そういうことか。
まあ、分からなくはない。瑞穂さんは人目を引く正真正銘の美人さんだ。
とうとう二日後に、あたしは蓮と結婚式を挙げる。
興奮しすぎて人格崩壊しかけている母親二人の先導によって行われる式は、当初の計画通り、新郎新婦は見事なまでにお飾りである。
母親の方がお色直しの回数が多いって、ナニ。
さておき、式を間近に控えたあたしであるが、存外、のんびりした日々を送っていた。
用事と言えば、ブライダルエステ(勿論、麻美さんに頼んだ)やネイルサロンに通うくらいである。
余りにのんびりしているものだから、遊びに来たつぐみに、「あれ? 結婚式ってもう終わったんだっけ?」などと軽い嫌味をいわれるくらいだ。
しかし何と言っても、母親二人にすべてを託し、自ら蚊帳の外に出て行ったのだから、これくらいの余裕はあってしかるべきであろう。
けれど、蓮は忙しい。
「多分いける」
と断言していたくせに、原稿を一つ、落としかけているのだった。
マンションを引き払い、唯一の仕事場と化した離れで必死にキィを叩いているが、はてさて、間に合ってくれるだろうか。
眠気覚まし用にエスプレッソを持って様子伺いに行ったあたしに、
「どうせお飾りなんだから、俺の席に高梨か馬渡くんでも据えておいたら問題ないよな」
などと半ば本気の目で言いやがったから、今回はかなり切羽詰まっているようだ。
「間に合いますかねえ、先生」
「さあ。どうでもいいです」
先のふざけた台詞に、あたしは腹を立てていた。
母親たちに結婚式の準備を託したあたしであるが、さすがに、譲れない一点がある。
それは、『蓮が横にいる』、それだけだ。内容がどんなものであれ、『蓮と一緒』であればそれでよかったのだ。
なのに、冗談とも知れない顔つきでふざけたことを言って!!
ぷつんと堪忍袋の緒が切れたあたしは、思いつくままに蓮に文句を言った。
優しいことや甘いことを毎日囁いてくれなんて言わないけど、少しくらいあたしの気持ちを考えろとか、結婚ってお金じゃないとか(これは、エンゲージリングはお金だけ渡されて、瑞穂さんと買いに行けと言われたのだ。悔しくて買ってない。マリッジはもう、母親たちに任せた)。
そんなあたしに対し、蓮は不機嫌そうに無言を貫き、それ以来蓮とは口をきいていない。
結婚式前に何をやってるんだと思わなくもないけれど、こちらから折れるのも嫌なのだ。
あの台詞に関して蓮が謝罪してくるまでは、絶対に許さない。
「めぐるさん、なんだか機嫌悪いですねえ。あれですか、マリッジブルー? それとも生理痛とか」
「高梨さんには関係ないです。ていうか、我が家には△△社の方は立ち入り禁止ですけど」
「あー、また言ったぁ。それは、すいませんって何度も言ったじゃないですかぁ。ボクだって止めたんですけど、みんな悪ノリしちゃって聞き入れてくれなかったんですってばぁ」
色を変えた葉を揺らす風に冬の気配を感じる、穏やかな昼下がり。
日当たりのよい縁側で、あたしは蓮の担当編集の一人である高梨くんとあったかいほうじ茶を飲んでいた。お茶請けは、高梨くんの手土産の翡翠堂の白玉最中である。さっくさくの最中の中に、艶のある甘さ控えめの餡ともちもちの白玉団子が入っていて堪らなく美味しい。
そんな高梨くんは、例の『大人の玩具セット』を祝いの品として送り付けてきた、あの出版社の社員である。
あたしより一つ年上だが、童顔で頼りない雰囲気の高梨くんは、人に甘えるのが妙に上手い。
△△社関係者絶対敷地内侵入禁止! を掲げていたあたしであったが、
「本当にすみません。反省していますぅ」と涙混じりに言われ、しかもお詫びにと入手困難な有名和菓子店の金つばなんぞを捧げられて、「じゃ、じゃあ高梨さんだけ、は」と折れてしまったのだった。
断じて、食べ物につられたわけではないことをここに明言しておく。
「先生、どんな様子かなぁ」
「さあ、ねえ」
「……そういえば、その」
「ん?」
もぐもぐと咀嚼しながら高梨くんの方を見ると、彼は、はにかんだ様子であたしを見返していた。
「なに?」
「ええと、その。聞きたいことがあるんですけど」
「うん」
「編集部からの品って、ちゃんと使ってくれました?」
「げふぉっ!」
咽かえった。
つるんと喉の奥に流れ込んだ白玉のせいで、呼吸困難になる。
慌ててほうじ茶を飲み、事なきを得たが、げほげほと咳込むのは止まらない。
「だ、大丈夫ですか、めぐるさん!」
「た、高梨くん、帰、れ……っ!」
最中の箱のふたを掴み、焦った高梨くんの頭を叩く。
薄い紙のふたは、パコンと情けない音を立てた。
「冗談ですってばぁ! 嘘、嘘です。そういうことはどうでもいいんです。れんた先生が使わないわけないですし」
「帰れ、バカ!」
苦しさのあまり涙が滲み、顔を赤くしていたあたしだったが、別の意味でますます赤らむ。
『使わないわけがない』とか断言するな!
返答に困るでしょう!!!
「怒らないでくださいよぅ、めぐるさん。ボクが本当に訊きたかったことはですね、その、野苺社のあの美人さん、彼氏とかいるんでしょうか?」
「は?」
あの美人さんって、瑞穂さんのこと?
なんで、高梨くんが瑞穂さんの彼氏が気になるわけ?
と、よく見れば、彼は恥じらうように頬を染め(男なのにその仕草が妙に似合うのが恐ろしい。あたしよりかわいらしくみえるのではないだろうか)、重ねて訊いてくる。
「あの美人さんですよ。ほら、二人の結婚が決まった時、ここに駆け込んできて泣いてた」
「ああ」
やっぱり瑞穂さんだ。
蓮と結婚することになったと、一番の恩人である瑞穂さんに報告の電話を入れたら、瑞穂さんは取るものもとりあえずといった様子で我が家へ駆けつけてくれた。
『よ、よかったぁ……。よかった……』
瑞穂さんはあたしを抱きしめ、ぽろぽろと涙を流して泣いてくれたのだった。
その時丁度、高梨くんもいた、んだったっけ?
瑞穂さんと喜び合ったことしか、残念ながら覚えていない。
そうか、高梨くんはそのときの瑞穂さんに惚れてしまったと、そういうことか。
まあ、分からなくはない。瑞穂さんは人目を引く正真正銘の美人さんだ。