君にすべてを捧げよう
奔放に遊ぶ蓮。
それを陰で支える美恵さん。

周囲の大人たちは二人をお似合いだと言い、受賞をきっかけに結婚を勧めた。
子供でも作れば蓮も落ち着くさ、そんな言葉がいつも交わされていて、吐き気がした。
あの当時は、あたしには悪夢の日々だった。


しかし、それはふいに事態を変えた。


雨が止まない、梅雨の夜だった。
その日は酷く蒸し暑く、あたしはベッドで寝苦しさと戦っていた。
そんな折、自宅の電話が鳴った。

時は深夜。こんな時間に電話が鳴ることなどない。
父は既にペナン島に赴任中で不在、母は就寝していた為、あたしが電話を取った。



それは、蓮と美恵さんの乗った車が事故を起こしたという、蓮の母からの連絡だった。


飲みに出かけていた蓮を車で迎えに行った美恵さんが、ハンドルを切り損ねたらしい。
雨で視界が悪かったせいだろう、車はガードレールを突き抜け、数メートル下の川に転落した。

あたしと母が病院に駆け付けた時には、蓮は緊急手術中で、美恵さんは既に、亡くなっていた。


『蓮! 蓮!』


手術室の前で泣き叫ぶあたしの耳に、信じられない言葉と物が与えられる。


『美恵ちゃん、妊娠してたみたいなの……』


蓮の母の手には、ボロボロになった小さな箱。
パクンと開けば、可愛らしいデザインのリングがきらりと光った。

蓮は、愛する人と、生まれてくる我が子を一度に失ったのだった。

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