君にすべてを捧げよう
『ん……』


もぞ、と動くものの、起きる気配はない。
その安らかな寝顔に、笑みがこぼれた。
去年の今頃は、いつも眉間に皺が寄って、辛そうだったから。


『蓮。お布団敷こうか? きつくない?』


そっと声をかけてみる。もぞりと蓮が動いた。


『……ん……美恵か』


すう、と足元が掬われる感覚。

美恵。

分かっていた。蓮の心にその人が今もいることは。
でないと、こんなにも自分をダメにしてしまうわけがない。

音をたてないように、そっと離れを後にした。
ぺたぺたと廊下を歩く。
涙が勝手に溢れ、頬を伝った。


見返りを求めていたわけじゃない。
そんな浅ましい思いはない。

蓮が元のように元気になればいい。また笑顔をみせてくれればいい。
それだけが、望みだった。

そしてそれは実現しようとしている。
蓮はきっと、悲しみを乗り越えて、自分の中で整理をつけて、近いうちに己を取り戻す。


それを喜べばいいだけなのに、どうしてあたしはこんなにも悲しくなるのだろう。
どうしてこんなにも、叫びだしたくなるのだろう。

気付けば、家を飛び出していた。
ぱらぱらと降り出した雨は、夜更けになっても止むことはなかった――

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