瞬きさえも忘れていた。
「聞くって。ちゃんと聞くから、とりあえず中(なか)入れ」

子どもを言い聞かせるみたいに、穏やかな優しい声色で岩本さんが言う。と同時に、開錠する音が聞こえ、続いてドアが開く音。



「ちょっと! 押さないでよっ!」


仲睦まじくじゃれ合うカップル。彼女のはしゃぐ声に、もう『元カノ』じゃないんだなぁと、嫌でも自覚する。



「もう達志っ! 相変わらず乱暴なん……」


パタッ――

ドアの閉まる音が、彼女の声を遮断した。



その瞬間、堪えていたものが弾けた。ダラダラと頬を伝う生温かいものに、身体の熱がどんどん奪われていくような気がして。


その寒さにまた震えて。



怖い……。

哀しいより、怖い。


明日からの孤独を思うと、ただ、怖くて怖くて。



無意識のうちに、逃げ場を求めて駆け出していた。足早に階段を下り、そうしていつもの駅へと向かう。


拭っても拭っても、涙は止め処なく溢れ出る。


だけど、諦めずに何度でも拭った。

両手の甲がベタベタに湿ってしまって、ちゃんと拭えているかどうかもあやふやだったけど。


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