秘書の私、医者の彼
「死っ……!?」

 榊医師は斉藤を見つめながら前に一歩踏み出した。

「癌で……2年も前から闘病生活を続けていたらしい……。1年前には病院も辞めていたそうだ……」

「……まさか……」

 口元を押さえて俯く榊医師に反して、斉藤は顔を上げた。

「しばらく休む……、いや、もう執刀しないかもしれない」

「…………」

 榊医師はゆっくり顔を上げて、手を下げた。

「…………、こちらの処理は任せろ。とりあえず、ゆっくりすればいい。……少し時間が経ったら、連絡する」

 榊医師の優しい気遣いに、斉藤は特に反応もせず、俯き加減でまた部屋の中へ入って行く。

 河野の存在などまるでいないかのように、視線を合わせることもなく、ドアはパタンと閉じられた。二、三歩、足音がして、すぐに消える。

 榊医師はそれを聞いてから、視線を遠くにやり、溜息を吐いた。

「…………、斉藤の人生はお兄さんの人生をそのままなぞって来たような人生です」

 突然話しかけられた河野は驚き、素早く榊医師を見つめた。

「彼の中でお兄さんの存在はとても大きかったでしょう。今は……そっとしておくのが一番です」

「そうですか……。私は、お兄さんがいたことも、何も知らなかったので……ただただ、ビックリする、ばかりで……」

 あんな、プライドの塊のような斉藤が、生きることなどどうでも良いと言わんばかりの姿を見せ、何者にも構わず扉を閉めていった姿を見た河野は、言葉など何も出ない。

「何かあったら、ここにお知らせ下さい。あいつのことです、何もないとは思いますが、一応……」

 榊医師は胸ポケットから、さらりと名刺ケースを出し、その中から一枚抜くと同じく取り出したペンで番号を書き綴った。

「私の携帯です。些細なことでも構いません。様子がおかしかったらご連絡を」

 一枚の名刺には、先ほど名乗った通りの、外科部長の肩書が刻まれている。

 河野はそれを素直に受け取り、今、斉藤を支えられるのは自分しかいないのだと、一枚の名刺で強く思い知らされた。

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