秘書の私、医者の彼

温かい膝枕


「おい、次入れ」

 その言葉が一体何を意味しているのか、全く分からない。

 いや、分かっているからこそ、意図を読むのが怖い。

 確認しよう。私たちは、ほぼたった今少し距離が近づいただけで、抱くとか抱かれるとかそういう関係にはない。

 確認しよう。私たちは、まず、お互いのこと好きかどうかもよく分からない。

 だけど、お風呂に入る順番や、この促し方、これはどう考えたって、相手が何か考えているに違いない。

 心臓が震える。

 河野は、シャワーを浴び、丁寧に身体を洗って綺麗なパジャマに着替えながら自分の心臓の音を聞いていた。

 聞こえるくらい高鳴っている。よく見るとパジャマの胸元が揺れている。

 どうしよう。

「こんなに癒してくれるのは、お前だけだ」

と、見つめられてゆっくり抱きしめられたりしたら、私は抵抗できるだろうか。

 いや、抵抗なんてする必要はないのだけれども!! 

 いやでも、一応抵抗するべきだろう。

 いやしかし、抱きしめられて、私のこと好きなの嫌いなのとか聞く女ってちょっと面倒な気がするし。

 じゃあ流れに任せる?

「こんなに俺のこと想ってくれたお礼……ってちょっと変だけど」

と言いながら、耳元で囁かれて、その吐息に身体が反応してしまい、くすくすと微笑されながら、

「お礼とは違うか……こんなに喜ばれてるんだから」

ってゆっくりソファに押し倒されたりなんかしたらどうするの!?

 いや、そうじゃない。そういうセリフは言わない気がする。いやけど、言うかもしれない。私が知らないだけで、すごい甘々かもしれない。

「あー……こういうのが好きなんだ」

 とか!? いや、言わないよね、言わないよね……。

 どっちかっていうと、

「嫌? 今嫌でも明日になれば忘れてるよ」

 って言いながら、手首押さえつけるタイプ!?

「おい、出たか?」

 ノックもなしに、洗面所のドアの向こうから声が聞こえた。

 心臓が痛いくらいに跳ね、慌てて鏡に向かって櫛で髪を梳いているフリをした。

「あっ、はい!!」

「入るぞ」

「…………!!」

 もう始まってるの!? 

 身体が硬直する。

「……」

 だが斉藤は無言だ。無言で歯ブラシに手を伸ばしている。

 ただ、歯を磨きたかっただけか……。

 うがいをすると、斉藤はすたすたとリビングに戻っていってしまう。

 そうだよね、それが普通だよね。

 河野も歯を磨いてうがいをし、リビングへ戻る。リビングではテレビを前にソファに腰かけている斉藤がいた。

「何の映画ですか?」

「……さぁ、俺も途中だ」

 まだ少し髪の毛が湿ったままで、ソファでリラックスするその姿は近寄りがたいほどだった。スリッパを履いて足を組み、ソファに大きく腕を乗せて寛ぐ姿は俳優でも十分に通じる。

「チャンネル変えてもいいぞ。リモコンはそこにある」

 テレビを見るつもりなんてさらさらなかったが、そこまで言われちゃ仕方ない。河野はソファの、斉藤から少し離れた所に浅く腰かけるとリモコンを手に持った。

「……衛星放送でも契約するか……碌な番組がない」

 言いながら、斉藤の両腕はゆっくり私の腰に回っていっている。妄想じゃない。

「えっ……」

 身動きが全く取れず、ただその両腕を眺めることしかできない。

「映画くらいだろ」

 河野は何の話なのかさっぱり分からなくて、ただ腰を包まれたことに全神経が集中していた。

背筋が自然に伸び、腹が引っ込む。

息ができなくなる。

「……お前、アニメ好きなのか?」

 言われて初めてテレビに目を向けるとわけのわからないアニメ番組が流れていた。慌てて、チャンネルを切り替える。

「えっと、えっと」

 斉藤はそんな河野にお構いなしに、どんどんパジャマに顔を摺り寄せ、ついにひざまくらの状態で落ち着く。

「映画でいい」

「あ、はい……」

 河野は映画を見る気になど全くなれず、ただ膝の上にいるテレビを見つめる斉藤を眺めた。

 長い睫が印象的で、とても男らしい。次に、身体の方を見る。

 ひざまくらをしているというとても甘い状況でしっかり腕を組んで映画を見ているその様は、ちぐはぐな気がして笑えた。

「…………」

 じっと映画を見ている。きっと面白いのだろう。

 河野は映画の内容などどうでも良かったので、ただ斉藤の身体を隅々まで観察する。

 時々、寝ているのではないかと顔を覗いた。 

だけど、しっかり目は開いている。
 

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