秘書の私、医者の彼

「さ、寝るか」

 映画の途中、CMになるなり、斉藤は身体を起こして立ち上がった。

「そうですね、もう11時過ぎてるし……」

 明日の仕事は残業が確定していて、夕食は社長の友人と摂るらしく、同席するように言われている。

 早く寝て、話題の1つでも考えておいた方がいいに違いない。といっても、社長の友人も社長だ。そんな身分違いな人に提供できる話題なんか、考えても出てくるはずないけど……。

 河野は、キッチンで水を飲む斉藤をそのままに、

「おやすみなさい」

と、自室のドアを開けた。

「自分の部屋で寝るのか?」

河野は、その言葉の意味が分からなくて、一旦停止した。

 その整った顔を凝視する。斉藤は目を合せたままで何も言わないので、しびれをきらした河野がようやく口を開いた。

「…………え?」

「2人で寝た方が、落ち着くだろ」

 斉藤は目を逸らしてそれだけ言うと、ペットボトルを冷蔵庫にしまった。

 硬直して、動けなくなる河野。

 それを無視しているのか、信じて待っているのか、そのまま自室に入る斉藤。

 河野は自室のドアノブを握ったままなのを思い出し、とりあえず手を離した。

 落ち着くって……2人で寝るって……え、斉藤さん、私のこと、好きになったの??

 そうとしか考えられない。

 そうとしか、取れない。

 じゃなかったら、いくらなんでも2人で同じベッドになんて、入れない。

 じゃなかったら、無理でしょ!? どう考えても!!

 まず、好きなのかどうか、聞こう。

 やっぱり身体の落ち着きよりも気持ちが大事だ。

 河野は1人眉間に皴を寄せながら、斉藤の部屋のドアノブを思い切って回した。

 中は既に間接照明だけが照らされていて薄暗い。河野の部屋のベッドよりも大きく立派なせいで部屋が狭く見えた。

 隅にはデスク、その上にはノートパソコン。他は背の高い本棚にぎっしり本が詰まっている。後は何もない。クローゼットにしまっているのだろうが、簡素な部屋に変わりなかった。

 斉藤は既にベッドの中に入っている。スマートフォンで何か確認しているようだが、それもやめて、ベッドサイドに置いた。

「ここ、入れよ」

 布団を大きくはぐってくる。

 河野は拒む勇気などなく、何も考えずに吸い込まれるようにさっと入り込んだ。

 ただ、天井を見上げる。隣にいる斉藤の着ズレの音、咳払い、溜息など全てが耳に入ってくる。

 斉藤の音以外は何も聞こえない。

 緊張のせいか、次第に喉が渇いてくる。

 とても、隣で眠れるような状況ではない。

「ちょっと、水を……」

 河野は耐えきれずに、身体を起こしてベッドから片足を出した。

「いいよ」

右手首を掴まれる。
 
その手はとても大きい。

「俺がとってきてやる」

 斉藤は大きく布団をはぐり、そのままスタスタと部屋から出たと思ったらすぐに戻ってくる。

「ほら」

「ありがとう……」

 河野は同じ姿勢のまま、差し出されたペットボトルを受け取った。

 あまり飲みすぎると今度はトイレに行きたくなってしまうことを考えて、一口だけ飲み、キャップを絞めてからサイドテーブルに置く。

「湯冷めするぞ」

 後ろから、腰を掴まれ、中に引きずり込まれる。

「わっ……」

 身体が硬直し、ただ、されるがままで、暗い中目を見開いて、息をするのが精一杯。

 更に斉藤は後ろから包み込むように、河野の両手を握ってきた。

 髪の毛と髪の毛が絡まる。

 息が、頭皮にあたる。

 かなりの密着度に手が汗ばんでくる。

 その先、もし、斉藤の手がパジャマのボタンにかかったらどうしよう、そればかりが頭を回る。

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