秘書の私、医者の彼
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「僕が死んだら悲しんでくれるだろうか」
「社長……」
成功率が高い手術で大げさだとは思ったが、その時病室のベッドで横になる附和薫社長の顔はあまりにも真剣で、とても軽はずみで励ませるようなものではなかった。
「手術の成功率はほぼ100%……」
「ですよ! そんな……」
「だけど、もし、全身麻酔から目が覚めなかったらどうしよう……その気持ち、分かる?」
「……」
手術を明日に控え、事前検査をする朝の気持ちが一体どのようなものであるのか、手術の経験がない河野にはおおよそでしか分からなかった。ただ、胃を切除するという気持ちがとても不安だということは附和の怖がりようから伝わっていた。
「食いたい物はとりあえず食った。とっておきの酒も飲み干したし。休みがとれれば旅行にも行きたかったけど、そんな暇がないのが残念だった」
今日で地球が終わるとしたら、という気持ちと同じなのかもしれないと河野は思う。
「でもそれよりも残念なのが、会いたい人に会えなかったこと……。携帯電話の番号が変わっててね……。つきとめる暇もなかった。それに、連絡したところで、癌の手術くらいでと思われるのも嫌だし。手術告白したのに、会いに来てくれなかったらもっと悲しいし」
「この前の……巽社長とのお話で出て来た方ですか?」
「うんそう……。もしかしたら死ぬかもしれないって時くらいなら、会えてもいいんじゃないかと思うんだけどね……」
いつになく弱り切っている社長を前に、
「連絡してみたらいかがですか? お調べしてみましょうか」
としか、言いようがない。
「今更元彼の友人になんて、会いたいと思う?」
すがるような目で問われる。
「……、でも、事情が事情ですし……」
「成功する手術で……たった2週間の手術でわざわざ連絡するのもね……」
項垂れて、目を逸らす社長はいつもの様子とは全く違い、
「良かったら私がお話してみましょうか?」
と言って元気づけたくなるくらいだった。
「……」
社長は突然鋭い視線で壁を睨む。だけど出て来た言葉は、溜息がまとわりついた
「初対面の君じゃあね……」。
「確かに、いきなり電話をかけたら不審がられるかもしれませんけど、会ったらどうでしょう?」
会って、手術をするから会いに来てと説明をする……、元彼の友人が? 私なら、その場合どうするだろう。……どうでもいい人なら行かないかもしれない……、という思いにたどりつき、言葉に詰まる。
「…………」
社長は一度大きく溜息を吐き、身体を反対側に向けた。
「あの、もし会えたらお話してもいいですか?」
巽社長の元彼女ということは、とりあえずそこに当たればなんとかなるかもしれない。
「会えるって、名前しか知らない君が? …………、じゃあもし、会えたら伝えて。
明日手術が終わって目が覚めた時、そこに居てくれればいいからって」
「附和さん」
開け放たれたドアから恰幅の良いベテランナースが入って来て会話が中断する。
河野は意を決して、最後に一言伝えた。
「とりあえず巽社長に聞いてみます。なんとか、伝えます」