秘書の私、医者の彼

「あっ、目が覚めた」

「…………」

 おそらく、附和社長が目覚めて一番最初に顔を合わせたのは実の弟であったと思われる。

「あぁ、薫ちゃん!! 良かったわ!! 分かる? 」

 虚ろな目をした青白い顔の附和社長だが、なんとか意識はあるのか視線を彷徨わせ、誰かを探しているようである。

「ほら、四対さんが見舞いに来てくれたぞ」

 会長に促され、四対社長が先に顔を見せ、次に香月さんが心配そうに顔を近づけた。

「…………」

 人工呼吸器のマスクの下で、小さく口を開く附和社長。

 香月さんはその声を必死に聞き取ろうと、四対社長を押しのけるように前へ出た。

「…………」

 それでも、聞こえはしない。

「あまり無理をさせてもいけないわ」

 奥様が会話を中断し、場はもう一度和やかな雰囲気に戻る。

「これで一安心ね。術後は様子を見てから復帰でいいわ。急ぐことはないわよ」

「それもそうだが……。四対さん、今日はわざわざ手術が終わるのを待って頂いて本当にありがとうございました。薫も喜んでおります」

 そうじゃないんだけどなと大半の人が思っていたが、もちろん黙っている。

「いやそういうわけじゃ……」

「それより後2週間が大変ですね。文哉、お前もちゃんとしろよ」

 文哉氏のKY発言を見事打ち破り、更に喝を入れるとはさすが四対社長だ。

「してるよ!! 自分がやりたいことを!!」

「お前は!! 四対さんの前で恥ずかしい」

 会長は怒りと恥で真っ赤になったが、

「いえいえ、今回の新商品が世界で話題になっていることは僕も存じています」

「洋服のデザインなんて……それよりも薫を支える方に回って欲しいと思っているんですが……」

「確かに2人揃えば僕も敵わないほどの強敵になりますね」

 四対社長は文哉氏を見て笑った。

「俺もいづれは兄貴を継ぐよ」

「まあいいじゃない。男が2人もいるんだもの。どうにでもなるわ」

 なんとなく奥様がまとめ、四対社長は香月さんを見た。

 まだ麻酔が抜けきらないのか、すぐに目を閉じてしまった附和社長の顔をずっと見つめていた香月さんも目で合図を受け、「それでは」と簡単に挨拶をして外へ出た。

 再び3人で、来た道を戻る。

 廊下を歩き角を曲がり、エレベーターに入ったとろこでようやく気付いた。

 香月さんが泣いていることに。

 四対社長の胸に軽く頭を預けて下を向き、時々鼻をすすっている。髪の毛で顔は見えないが、四対社長の片手がその細い身体を抱いて支え、

「嫌なこと思い出したか?」

と、聞いた。

 嫌なことって!? 今回は附和社長が友人巽社長の元彼女に儚い恋心を抱いていたとかいう、悲恋じゃなかったの!?

「………う……」

 香月さんは、うんともすんともとれない溜息混じりの声を出しただけでただ肩を震わせている。

 その肩や腕を四対社長は左手でさすって慰めながらも、右手はフランクミューラーを確認した。次の仕事が待っているようである。

 四対社長と香月さんがただの友達という関係ではないことは明らかである。そのことを附和社長は知っていたのだろうか。

 知っていながら会いたかったのだろうか。

 それとも、薄れゆく意識の中で何故香月さんと四対さんが一緒に来たのかと疑問を抱き、更には心を沈ませただろうか。

 ポン、とエレベーターが鳴り、扉が開いたと同時に順に外へ出る。

 香月さんは四対社長に抱きかかえられたままロビーを抜け、横づけされたクラウンマジェスタから出て来た運転手にドアを開けてもらい、早々と乗り込んでしまう。

 四対社長はそれを手伝った後、わざわざ河野に

「手術が成功して何よりだ。また、見舞いに来させてもらう」

と、言い残しすぐに車のドアの方を向いた。

「ありがとうございました!! お忙しいところ……社長には必ず伝えておきます!」

 四対社長は一旦停止して聞いていただろうが何の反応もせず、そのまま香月さんの隣に乗り込む。

 残された河野は、手術が成功したというのに何故か、一しきりの悔しさや悲しさが心に残り、何故今自分が溜息をつかなければならないのか分からないまま、エントランスを後にした。
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