秘書の私、医者の彼
突然の辞令 社長秘書
♦
本社に来るのは実に久しぶりのことである。
最後に来たのはいつだったか、すぐには思い出せない。
まあ、思い出したところで何かが変わるわけではないし。
河野は無心で巨大な本社のロビーに入り、エレベーターで上がって総務部へと急いだ。
そこで、書類に記入するように言われている。
おそらくすぐに書き込み、提出して帰ることになるのだろう。
「失礼します。北支店の河野です。書類を取りに……」
ドアを開けるなり近くにいた若い男性に自己紹介を始める。だが、途中まで説明するなり奥に腰かけていた初老の男性が立ち上がって寄って来た。
「河野さんです」
若い男性が事務的に説明する。
「あぁ、社長秘書室に行って。 書類はそこにあるから」
「えっ……しゃ……」
社長秘書室?
なんでそんなところに……。
「はい、以上」
男性は、本当にこれ以上ないとでもいいたげにすぐに席に戻る。
その態度があまりにも冷たかったので河野は聞き返す気も起きず、わけも分からず言われるがままに指示された社長秘書室に向かった。
エレベーターに乗り、ボタンを押そうと確認。最上階に社長室があることをこの時初めて知る。
最上階に上がり、エレベーターを降りるとすぐに「社長秘書室」のプレートが見えた。
河野はそのプレートの下に吸い込まれるように立ち、気付く。てっきり扉は閉まっているものだと思っていたのに、扉が空いたままの状態になっていた。
中の人物が先に河野に気付き、入口そばにある、こちら側に向かったデスクからすぐ顔を上げた。
「あっ、あの、河野 亜美、ですが……。北支店の」
社長秘書=美人。例えて言うなら女教師のようなタイトスカートにメガネに夜会巻で……という結い上げられた髪の毛のイメージとは程遠い女性が、そこに居座っていた。
茶色い髪の毛の横髪両サイドを頬にたらし、後ろ毛は後ろで結っている。小さな目をマスカラでぱっちりさせてはいるが、化粧は変に濃い。年齢は不詳。ふくよかな豊満な身体つきのせいで黒いスーツの中のブラウスが今にも弾けそうだ。
「社長がお待ちです」
「……はい」
返事をどうにかしたが、社長に呼び出されるようなこと、私した!?
もしかしたら、政府に暮らしの会のメンバーに選ばれたことが、実は社長室に呼ばれるほど名誉なことだったのかもしれない。
河野は少し胸を張って、秘書の後ろに並んで社長室に入って行った。
「失礼します、河野亜美さんがいらっしゃいました」
応接セットがどーんと構えられ、接待をするための空間がそれらしく演出されているが、それにしても広すぎる空間だった。
ほぼ20畳近くは何もない面積といえる。
その奥の窓際の真ん中に社長のデスクはある。
入口側に向けられた重厚な木の造りのデスクは、社長そのものを現している気がした。
その奥に腰かけてノートパソコンに目を通しているまだ30代後半の若い男性が社長。総会や雑誌で顔を拝見したことはあるが、こんな間近で見るのは初めてのことだった。
「……ちょっと待ってて」
「失礼します」
秘書はすぐに出て行ってしまう。
待てって言ってなかったっけ?
どうやらそれは河野にかけられた言葉のようだった。
何をどうしてよいのか分からず、とりあえずその場に2分ほど立ち尽くす。ぐるりと見渡す部屋には、キャビネットの中に本や置物がそれらしく並べられており、いかにも社長室が演出されていた。
だがどうも、今パソコンを凝視している、ノーネクタイでワイシャツのボタンを外した若々しいファッションモデルのような社長とは合致しない。
「あぁ、悪いね。急な連絡が入って。さ、どうぞ」
下座がどこだったか考える暇もなく、社長が手で示してくれた大きなソファに腰を下ろす。
河野は落ち着かず、テーブルやソファをきょろきょろ見ながら社長が対面して腰かけるのを待った。
ところが何故か、同じソファの隣に身体を下ろしてくる。
河野は不思議に思いながら、その180㎝はありそうなすらりとした体がソファに沈んでいく様子をただ見ていた。
「暮らしの会に選ばれたそうだね。どう? 同居の人は」
こんな近くで声を聞いたことはない。爽やかな優しそうな声は、聞き取りやすく、世間話から始めてくれるようで安心した。
「あっ、はい。あの、お医者さんみたいで。一応安心しています」
「あそう。それは良かったね。同居している人がどんな人かで、自分が計れるんだよ。自分に見合うような人が選ばれてるから」
「あっ、そうなんですか……」
ということは、お医者さんの隣に置いてもおかしくないような……中の上くらいには世間的に思われている、ということになるのかもしれない。
そもそも、附和物産は日本を代表する財閥の一つであるため、そこに勤めているという時点である程度の信頼を得ているのかもしれない。
「で、君を社長秘書にしようと思う」
「えっ……」
初めて目を合せた。
うわ……。
一瞬で逸らす。髪の毛は少しブラウンがかかっており、長めに伸ばして後ろに少しなびかせている。目は切れ長で鼻筋がとおっており、端正な美形と言うにふさわしい顔は社長とは思えない、と評価するのが一番正しい気がした。
「決定事項だから。
今在任中の秘書は、さっきの橋台さん1人。後は一応運転手兼えー、案内役の須山君がいる。
それぞれ下では仕事ができなくてね。まあ、橋台さんは自己流すぎるという方向なんだけど、特に須山君はちっとも仕事をしなくて困ってね、結局僕の周りに置いて仕事させてるわけ。
まあ、そんな感じだから気を遣わずにいてほしい」
「はい……」
全くつかめないが、それ以外に返事はない。
「で、河野さんがすることは、僕の外回りに付き合うこと。
それだけ。特にしないといけないことはない。
今までも1人いたんだけど寿退社してね、橋台さんは外出よりも留守番がいいっていうし、とりあえず須山君に同行させてたんだけどどうも男は華がなくていけない。
あ、河野さんは別に引っ越しさえなかったら支店でいてくれたらよかったんだけど、丁度引っ越しの話がでたから呼んだだけでね。
仕事ができないとは僕は思ってないから、その辺りは勘違いしないで欲しい。
それに、雰囲気的にその2人と仲良くできそうだったしね。そこが一番重要かな。3人+僕が仲良くできないと、何も円滑に進まないから」
「あっ、はい」
自分でも何に納得したのかは分からないが、返事はそれしかない。
「はい、以上。
あとは橋台さんから詳しいこと聞いて。
今日は僕は1日会社にいるから用はない」
「あっ、はい」
言うだけ言うと、附和社長は立ち上がってデスクに戻る。
「いいよー、出てって」
「あっ、失礼します」
河野は慌てて立ち上がると社長室を出た。
突然社長秘書を命題された重圧というものがのしかかってきた気がして、息苦しくなりそうだったが、ふと顔を上げたところに人が見えて気持ちが切り替わる。
仕事をする橋台の隣で、まるでだるそうにデスクに寄りかかりながら立てっているスーツの若々しい長身の男性の姿はとても目立って見えた。
「河野さん、ですよね?」
相手から話しかけてきてくれる。その白い顔は切れ長の目やふっくらした唇が整った、優し気な印象の良い男性であった。
「あっ、はい。あの……」
社長秘書の河野です、と言っていいのか迷う。
「僕は須山です。で、こっちが橋台さん。あの、橋台さんがこれから色々と教えてくれることになってますので……」
言いながら、須山は橋台を見た。
橋台は俯いたまま、頷いている。
「あの、私、社長秘書とか言われたんですけど……」
縋るように、2人を見た。
「あぁ、らしいですね。前の人が辞めたんで。1か月くらい前かな……それから僕も忙しかったんですけど、河野さんが来てくれるってなって助かります」
仕事しないとか言ってたけど、やっぱりそういうわけじゃないんだ。
「なんか、私まだ、本当に!? って感じで、信じられないんですけど……」
「今までは北支店にいたんでしたっけ?」
須山は橋台をちら、と見る。
橋台は、また頷いた。
「僕は最初からここの下にいたんですけど、突然呼び出されて運転手になって。橋台さんもですよね? 橋台さんは僕がここに来る前からいましたけど、突然だったそうです」
2人とも下では仕事できないとか散々言われていたが、そうではなさそうだ。
にしても、なんという冗談だ……。
「あの……私、本当に社長秘書になったんですか?」
それならばこれからは、橋台と共に仕事をしていかないといけないとなる。河野は橋台を見つめて聞いた。
「名刺はもうできてます。机はここです」
「えっ!?」
なんと、橋台の隣の空いているデスクを使えというのだ。しかも、その上には確かに束になった名刺が置かれている。
思わず手を伸ばして確認してみる。
附和物産株式会社 秘書室長代理 河野 亜美
口に手を当てた。一体いつから社長秘書の話が出ていたのか、何も知らなかった自分が怖くなる。
「大丈夫ですか? 本当に嫌なら言えば分かってくれると思いますよ、社長は。物分かりがいいんで」
ちょっとその言葉遣い、間違えてる気がするんですけど!
「あ、いえ……驚いただけで……」
別に嫌なわけじゃない。社長秘書なんて、なりたくてもなれるものではないし、はっきり言って、北支店の副主任の位置からすると、かなりの昇格になっている。
「あの、橋台さん。よろしくお願いします! 私、ほんっと何も分からないので色々教えて下さい!!」
深々と頭を下げた。
「多分今日食事会ですよ」
横から須山が割り込んでくる。
「えっ、……」
何人で?
「4人で。僕が入った時もそうだったし、前の秘書の人が辞めた時もそうだったから。多分今日か明日くらいするんじゃないですかね」
「予定にはないけど、あえて予定に入れてないんだと思う」
橋台がようやくそれらしく力を発揮した。
「気まぐれですからね。そういう所は」
なんか妙に上から目線だなあ……本人がいない所ではそんなもん?
「さ、そろそろ行こうかな……。今日は暇で良かったですよ」
腕時計を確認した須山は伸びをしながら、呑気に部屋から出て行く。
須山が出て行ってしまうと、河野はすかさず橋台に聞いた。
「あの、須山さんどこに行ったんですか?」
「洗車」
なんとも分かりやすい一言が帰って来る。
河野は誰もいない入口を確認し、次に社長室のドアを見つめ、しっかりと自分の足元を確認する。
「何をすればいいか、全部教えて下さい」
本社に来るのは実に久しぶりのことである。
最後に来たのはいつだったか、すぐには思い出せない。
まあ、思い出したところで何かが変わるわけではないし。
河野は無心で巨大な本社のロビーに入り、エレベーターで上がって総務部へと急いだ。
そこで、書類に記入するように言われている。
おそらくすぐに書き込み、提出して帰ることになるのだろう。
「失礼します。北支店の河野です。書類を取りに……」
ドアを開けるなり近くにいた若い男性に自己紹介を始める。だが、途中まで説明するなり奥に腰かけていた初老の男性が立ち上がって寄って来た。
「河野さんです」
若い男性が事務的に説明する。
「あぁ、社長秘書室に行って。 書類はそこにあるから」
「えっ……しゃ……」
社長秘書室?
なんでそんなところに……。
「はい、以上」
男性は、本当にこれ以上ないとでもいいたげにすぐに席に戻る。
その態度があまりにも冷たかったので河野は聞き返す気も起きず、わけも分からず言われるがままに指示された社長秘書室に向かった。
エレベーターに乗り、ボタンを押そうと確認。最上階に社長室があることをこの時初めて知る。
最上階に上がり、エレベーターを降りるとすぐに「社長秘書室」のプレートが見えた。
河野はそのプレートの下に吸い込まれるように立ち、気付く。てっきり扉は閉まっているものだと思っていたのに、扉が空いたままの状態になっていた。
中の人物が先に河野に気付き、入口そばにある、こちら側に向かったデスクからすぐ顔を上げた。
「あっ、あの、河野 亜美、ですが……。北支店の」
社長秘書=美人。例えて言うなら女教師のようなタイトスカートにメガネに夜会巻で……という結い上げられた髪の毛のイメージとは程遠い女性が、そこに居座っていた。
茶色い髪の毛の横髪両サイドを頬にたらし、後ろ毛は後ろで結っている。小さな目をマスカラでぱっちりさせてはいるが、化粧は変に濃い。年齢は不詳。ふくよかな豊満な身体つきのせいで黒いスーツの中のブラウスが今にも弾けそうだ。
「社長がお待ちです」
「……はい」
返事をどうにかしたが、社長に呼び出されるようなこと、私した!?
もしかしたら、政府に暮らしの会のメンバーに選ばれたことが、実は社長室に呼ばれるほど名誉なことだったのかもしれない。
河野は少し胸を張って、秘書の後ろに並んで社長室に入って行った。
「失礼します、河野亜美さんがいらっしゃいました」
応接セットがどーんと構えられ、接待をするための空間がそれらしく演出されているが、それにしても広すぎる空間だった。
ほぼ20畳近くは何もない面積といえる。
その奥の窓際の真ん中に社長のデスクはある。
入口側に向けられた重厚な木の造りのデスクは、社長そのものを現している気がした。
その奥に腰かけてノートパソコンに目を通しているまだ30代後半の若い男性が社長。総会や雑誌で顔を拝見したことはあるが、こんな間近で見るのは初めてのことだった。
「……ちょっと待ってて」
「失礼します」
秘書はすぐに出て行ってしまう。
待てって言ってなかったっけ?
どうやらそれは河野にかけられた言葉のようだった。
何をどうしてよいのか分からず、とりあえずその場に2分ほど立ち尽くす。ぐるりと見渡す部屋には、キャビネットの中に本や置物がそれらしく並べられており、いかにも社長室が演出されていた。
だがどうも、今パソコンを凝視している、ノーネクタイでワイシャツのボタンを外した若々しいファッションモデルのような社長とは合致しない。
「あぁ、悪いね。急な連絡が入って。さ、どうぞ」
下座がどこだったか考える暇もなく、社長が手で示してくれた大きなソファに腰を下ろす。
河野は落ち着かず、テーブルやソファをきょろきょろ見ながら社長が対面して腰かけるのを待った。
ところが何故か、同じソファの隣に身体を下ろしてくる。
河野は不思議に思いながら、その180㎝はありそうなすらりとした体がソファに沈んでいく様子をただ見ていた。
「暮らしの会に選ばれたそうだね。どう? 同居の人は」
こんな近くで声を聞いたことはない。爽やかな優しそうな声は、聞き取りやすく、世間話から始めてくれるようで安心した。
「あっ、はい。あの、お医者さんみたいで。一応安心しています」
「あそう。それは良かったね。同居している人がどんな人かで、自分が計れるんだよ。自分に見合うような人が選ばれてるから」
「あっ、そうなんですか……」
ということは、お医者さんの隣に置いてもおかしくないような……中の上くらいには世間的に思われている、ということになるのかもしれない。
そもそも、附和物産は日本を代表する財閥の一つであるため、そこに勤めているという時点である程度の信頼を得ているのかもしれない。
「で、君を社長秘書にしようと思う」
「えっ……」
初めて目を合せた。
うわ……。
一瞬で逸らす。髪の毛は少しブラウンがかかっており、長めに伸ばして後ろに少しなびかせている。目は切れ長で鼻筋がとおっており、端正な美形と言うにふさわしい顔は社長とは思えない、と評価するのが一番正しい気がした。
「決定事項だから。
今在任中の秘書は、さっきの橋台さん1人。後は一応運転手兼えー、案内役の須山君がいる。
それぞれ下では仕事ができなくてね。まあ、橋台さんは自己流すぎるという方向なんだけど、特に須山君はちっとも仕事をしなくて困ってね、結局僕の周りに置いて仕事させてるわけ。
まあ、そんな感じだから気を遣わずにいてほしい」
「はい……」
全くつかめないが、それ以外に返事はない。
「で、河野さんがすることは、僕の外回りに付き合うこと。
それだけ。特にしないといけないことはない。
今までも1人いたんだけど寿退社してね、橋台さんは外出よりも留守番がいいっていうし、とりあえず須山君に同行させてたんだけどどうも男は華がなくていけない。
あ、河野さんは別に引っ越しさえなかったら支店でいてくれたらよかったんだけど、丁度引っ越しの話がでたから呼んだだけでね。
仕事ができないとは僕は思ってないから、その辺りは勘違いしないで欲しい。
それに、雰囲気的にその2人と仲良くできそうだったしね。そこが一番重要かな。3人+僕が仲良くできないと、何も円滑に進まないから」
「あっ、はい」
自分でも何に納得したのかは分からないが、返事はそれしかない。
「はい、以上。
あとは橋台さんから詳しいこと聞いて。
今日は僕は1日会社にいるから用はない」
「あっ、はい」
言うだけ言うと、附和社長は立ち上がってデスクに戻る。
「いいよー、出てって」
「あっ、失礼します」
河野は慌てて立ち上がると社長室を出た。
突然社長秘書を命題された重圧というものがのしかかってきた気がして、息苦しくなりそうだったが、ふと顔を上げたところに人が見えて気持ちが切り替わる。
仕事をする橋台の隣で、まるでだるそうにデスクに寄りかかりながら立てっているスーツの若々しい長身の男性の姿はとても目立って見えた。
「河野さん、ですよね?」
相手から話しかけてきてくれる。その白い顔は切れ長の目やふっくらした唇が整った、優し気な印象の良い男性であった。
「あっ、はい。あの……」
社長秘書の河野です、と言っていいのか迷う。
「僕は須山です。で、こっちが橋台さん。あの、橋台さんがこれから色々と教えてくれることになってますので……」
言いながら、須山は橋台を見た。
橋台は俯いたまま、頷いている。
「あの、私、社長秘書とか言われたんですけど……」
縋るように、2人を見た。
「あぁ、らしいですね。前の人が辞めたんで。1か月くらい前かな……それから僕も忙しかったんですけど、河野さんが来てくれるってなって助かります」
仕事しないとか言ってたけど、やっぱりそういうわけじゃないんだ。
「なんか、私まだ、本当に!? って感じで、信じられないんですけど……」
「今までは北支店にいたんでしたっけ?」
須山は橋台をちら、と見る。
橋台は、また頷いた。
「僕は最初からここの下にいたんですけど、突然呼び出されて運転手になって。橋台さんもですよね? 橋台さんは僕がここに来る前からいましたけど、突然だったそうです」
2人とも下では仕事できないとか散々言われていたが、そうではなさそうだ。
にしても、なんという冗談だ……。
「あの……私、本当に社長秘書になったんですか?」
それならばこれからは、橋台と共に仕事をしていかないといけないとなる。河野は橋台を見つめて聞いた。
「名刺はもうできてます。机はここです」
「えっ!?」
なんと、橋台の隣の空いているデスクを使えというのだ。しかも、その上には確かに束になった名刺が置かれている。
思わず手を伸ばして確認してみる。
附和物産株式会社 秘書室長代理 河野 亜美
口に手を当てた。一体いつから社長秘書の話が出ていたのか、何も知らなかった自分が怖くなる。
「大丈夫ですか? 本当に嫌なら言えば分かってくれると思いますよ、社長は。物分かりがいいんで」
ちょっとその言葉遣い、間違えてる気がするんですけど!
「あ、いえ……驚いただけで……」
別に嫌なわけじゃない。社長秘書なんて、なりたくてもなれるものではないし、はっきり言って、北支店の副主任の位置からすると、かなりの昇格になっている。
「あの、橋台さん。よろしくお願いします! 私、ほんっと何も分からないので色々教えて下さい!!」
深々と頭を下げた。
「多分今日食事会ですよ」
横から須山が割り込んでくる。
「えっ、……」
何人で?
「4人で。僕が入った時もそうだったし、前の秘書の人が辞めた時もそうだったから。多分今日か明日くらいするんじゃないですかね」
「予定にはないけど、あえて予定に入れてないんだと思う」
橋台がようやくそれらしく力を発揮した。
「気まぐれですからね。そういう所は」
なんか妙に上から目線だなあ……本人がいない所ではそんなもん?
「さ、そろそろ行こうかな……。今日は暇で良かったですよ」
腕時計を確認した須山は伸びをしながら、呑気に部屋から出て行く。
須山が出て行ってしまうと、河野はすかさず橋台に聞いた。
「あの、須山さんどこに行ったんですか?」
「洗車」
なんとも分かりやすい一言が帰って来る。
河野は誰もいない入口を確認し、次に社長室のドアを見つめ、しっかりと自分の足元を確認する。
「何をすればいいか、全部教えて下さい」