秘書の私、医者の彼

初めての食事


 初対面といっていい、社長に秘書を命じられ、更に一夜を過ごし、朝食まで一緒に摂った上、マンションまでリムジンで送迎される。

 前日とは全く違う会社からの扱いに、河野はとにかく戸惑っていた。

 待遇は決して悪くはないが、社長のあの態度……もしかしたら毎度お気に入りの女の子を好き放題しているのかもしれない。

 しかし、だとしたら橋台を秘書室に置かなくてもよい気がするし、前秘書は寿退社したというし、大体仕事をしない須山を運転手にするのも謎だ。

 つまり、社長の行為はただの好意ともとれる……。

 いや、何か勘違いをしていたではないか。

 こちらが好きだと勘違いして、それに応えようとしていたようだが、それはそれで納得がいかない。

 河野は溜息をついて、自宅のドアを開ける。

 本日土曜日だからといって、家の中に同居人の斉藤がいるかどうか何も考えずに玄関に入ったので驚いた。物が焼ける匂いがする。

 慌てて靴を脱いで中へ入ると、だんだんキッチンで作業をしている音が聞こえてくる。 

 まさか早くも女を連れ込んだかと、恐る恐る奥へ進んだが、中でフライパンを振っていたのは、予想もしない斉藤が自炊をしている姿であった。

「…………」

「……」

 斉藤は鋭い視線でこちらをちら、と見るだけで何も言わない。

「おはよう……」

 河野は言いながら気付く。既に時刻は11時に差し掛かろうとしている。

 更にカウンターキッチンに入り込み、

「……料理するんですね……」

と小さく言った。

 作っているのはチャーハン。量は1人分では多そうだが、まさか分けてくれるとは考えない方がいい。

 河野はその隣で冷蔵庫からお茶を取り出しコップで飲む。

「……今日はお休みですか?」

 斉藤からは何も話さなそうだったので、こちらから話しかけた。

「あぁ」

 返って来たのは小さなそれだけ。

 自分の中で制服のつもりなのか、黒のポロシャツにベージュのチノパンを今日も着ている。もしかしたら夜勤明けなのかもしれない。

「夜勤明けですか? 良かったら、手伝いますよ」

 自分でもイケメン相手だとこうも違うかと嫌になるが、実際クールで無口なイケメンが好みなのだから仕方ない。

「もうできた」

 言うなり、IHの電源を切る。

「美味しそう。上手ですね」

 具材はハムと卵だけ。彩もあまりよくなく、半分お世辞だが、それでも味は悪くはなさそうだった。

 もしかしたら、今までは実家ではなく一人暮らしだったのかもしれない。

 突然、斉藤に親近感が湧いてくる。

「食うか?」

 斉藤は皿によそいながら聞いてくれる。

 河野は飛び上がるほど嬉しくなり、

「はい!! 嬉しい!」

と、戸棚から自分で皿を出した。

 その皿を差し出すとちゃんと1人分、盛ってくれる。

 フライパンが空になったことに、斉藤の気遣いが最初からあったのではないかと予測しながら、リビングのソファに移動した。

 河野は新しいコップに斉藤のお茶を注ぐ。

 まさかこともあろうに斉藤の手作りチャーハンが食べられることになるなんて、予想もできなかった河野はにこやかな笑顔でさっそく箸をつけた。

「美味しい!! 美味しいですね!!」

 味はまあまあ、普通だったが、まさか斉藤がこんなまともな物を作れるとは思いもしなかったので、驚いて感想を述べた。

「飯くらいは作れる」

 言いながら、食べる姿は若干疲れが滲んでいるようにも見えるが、そこがまたセクシィだ。

「今までもお料理されてたんですか?」

「あぁ」

 一人暮らしということは、一通りのことができるということだ。

 突然斉藤は立ち上がり、冷蔵庫の前へと移動する。中から出してきたのは缶ビールだ。言ってくれれば取りに行くのに、と思った河野は自分が上機嫌であることを知る。

「あの、私、聞いてみたかったんですけど」

 この質問は斉藤が酔ってから聞いた方が効果があるかもしれないが、待ちきれずに口にした。

 まだ缶に口をつけたばかりの斉藤は、缶を傾けながらこちらを見た。

「その……暮らしの会とか……どう思います?」

「別に、どうも」

 言うなり斉藤は缶を置いた。

 聞き方がまずかったか、すぐに河野は次の質問を出す。

「あの、同居って私、したことないんですけど、やっぱり大変ですよね……」

「お前が嫌なら、俺は行くアテがある。いつでも言え」

思いがけない冷たい言葉に、息を飲む。

「えっ……いえっ、そんな……」

「ここに住所は置いておくが、病院ではいつでも寝泊りができるからな。俺はあまり気にしないが、お前が気にするのなら合わせてやる」

 ものすごい上から目線でも、こちらと合わせようとしてくれている姿は、それでも好感が持てた。

「いえっ、あの、逆に一人暮らしで知らない所で住むのもあれですし……だから、私は別に。その、それに多分斉藤さんは夜勤とかあるからずっと一緒ってわけじゃないし……」

「まあ、そうだな」

 言っておきながら、ちょっとほっとしている気がした。

 斉藤はぐびぐびビールを飲んでいる。

「……私も飲んじゃお」

 冷蔵庫にまだビールがあったはず。

 と、立ち上がると、

「これが最後の一本だ」。

「……もうなかったんでしたっけ……」

 昼間だが、せっかく2人で飲めるチャンスだったのに、と小さく溜息をつく。

「買い物に出たら、また買っておく」

「えっ、いえいえっ!! あの、なんかすみません。あの、私も買い物しますし、食事も作りますから……」

「カレー以外に作れるのか?」

 思いもよらない質問に、

「あのっ、はい。私は一年くらい一人暮らししてましたので。斉藤さんは、一人暮らし、長いんですか?」

 長ければ10年くらいしているかもしれない。そう思いながら軽く聞いたのが間違いだった。

「…………」

 返事が返ってこない。

 わけありだと踏んだ河野も、そこで黙る。

 あまり黙り込みすぎるのもよくないと思い、目の前にある60インチのテレビをつけた。

「お医者さんって大変ですね」

 話しかけているのにも関わらず、斉藤は立ち上がる。

 何か気に障ったようだ。

 皿にはまだ少しチャーハンが残っているのにもかかわらず、斉藤は缶ビールだけ手に持ち、静かに自室へ入った。 

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