牙龍−元姫−
紅い春
* * *
「響子ちゃん?」
「……え?」
暗い暗い路地に独り─……ではなく二人。さっきから進もうとしても一歩も進めていない。脚が鉛のように重く地面にくっ付いているようだとため息をつく。
そんなとき後ろから誰かに名前を呼ばれた“響子ちゃん”と…。確かに“響子”は私の名前。でもその声は聞き覚えのない声で―――
「だ、誰?」
「うわー。やっぱりそうなんだァ〜。うんうん。話には聞いてたけどやっぱり写真なんかよりも生は断然可愛いなァー」
「しゃ、しん?」
痛む身体にたえ重い目蓋を必死に持ち上げれば微かに見える情景。
霞む目から見えるのはフードを被った男。手には汚れたよく分からない人形がぶらぶら揺れ動く。
もう片方の手には写真が。──────私の写真?
「ほんと可愛いなァ〜。でもね!綺麗なものはねェ、ぐちゃぐちゃにしたいんだよねェ僕。ミンチ並みに!」
人形をブンブン振り回す男。
「綺麗なものより良い食材はないよォ!」
「…食材?」
この人の言うことはよく分からない。ぐちゃぐちゃとかミンチとか食材とか。まず、このひとは一体誰なんだろう…?
「響子ちゃんてェ、綺麗だよねェ〜…」
「…?」
「うん。仕方ないよォ。だって僕は綺麗なものは壊したくなるんだもんねッ―――ねェ響子ちゃん?」
自問自答を俯いて始めた目の前に居る人。距離が遠くてその声は聞こえない。私はただ、その人を訝しげに見つめる。
俯いていた顔を勢いよくあげ名前を呼ばれた、その瞬間。
「 壊 し て い い ? 」
グサッ!
「─……え、」
「きゃははははは!なーんちゃってェー!驚いちゃったァー?」
愉快げに笑う“誰か”。
驚かないわけがない。
調理ナイフが、真横に刺さっているんだから。