牙龍−元姫−
信号が赤に変わり、脚を止める。
同時に彼女は横断歩道から私へと視線を移した。
「ふふ、随分と懐かしいね。あの時はビックリしたよ。まさか白鷺先生の本を読んでいる人が神楽坂に居るなんて思わなかったから」
手を口元に添えて、小さく笑う。
彼女にうっとりと見惚れながらも頷いた。
「わ、私も思わなかったです!」
確かに白鷺千代の作品は世代問わず親しまれている有名な著作だ。
しかし残念ながら神楽坂に“小説を読むような人”は滅多にいない。
不良やギャル。だらけた人や気力のない人。小説とは無縁の人ばかりの神楽坂。仕方なく読むのは、教科書と言ったところ。りっちゃんがいい例えだ。
「それからは意気投合したよね」
「はい!まさか野々宮響子さんが白鷺先生のファンだとは思わなかったので…!」
「……」
信号が青に変わり横断歩道を渡るも、彼女はピタッと脚を止めた。
何かあったのかと、私も脚を止める。
私達を振り返って見てくる人は、何も、急に脚を止めたことを不可解に思ったわけじゃないと思う。
彼女に魅せられて振り返っているだけ。
彼女に目を奪われているのが何よりの証拠だ。