ココロヨミ
「ありがとうございました〜」

(これだけあれば、まあ足りるじゃろ。どれが良く効くかなど私は知らぬし……)


桐原のための買い物を終え、夜魅はドラッグストアの袋に入った数々の風邪薬を眺めながら、また雨が降り出す前にと足早に帰路についた。


今日はあの“着物に近い和服”を着ているだけに、普通に街を歩く―――それだけで自然と人々の注目を集める。

つい数日前までは、その視線が痛々しくも肌に突き刺さるのを感じたものだ。


(なにあれ?コスプレ?)

(うわぁ〜!写メ、写メっ!)

(ほぉ……舞子さんかなにかか?)


今日だって、他人が心の中で呟く声が四六時中聞こえてきている。

しかし、そんな視線も声も全く気にならないほどに、今の夜魅からは嬉しさが溢れ出ている。


歩を進める度に履き物がカランカランと小気味よい音を立て、ウエストを絞る帯の締め付けが今日は逆に心地よい。


足取りは軽く、鼻緒が緩んだ気がして下を向いたら、水溜まりに映る頬も緩んでおり、ついには無意識のうちに歌まで口ずさんでいた。

それは桐原の歌ってくれたあの洋楽。しっとりと心に染みるラヴ・バラード。


他人より記憶力がずば抜けていいのが一つの自慢な夜魅にとって、二度も聴いた歌を暗唱するのは朝飯前だ。


「あ!」

気がついた。そして、歌を歌っていた自分に対して心底驚いた。

「私……私が歌を歌うなど、いったい何年ぶりだろう……」


月日を重ねるごとにどん底に向かって堕ちていった。

自殺も考えたが貧弱・軟弱・脆弱、弱い弱い自分の心がそれを拒否した。


気がつけばいつも独りぼっちだった。



でも私は……

桐原 空という男に出逢うことが出来た。

心から気が置けない人間に巡り会えた。


幸せを……感じた。
< 53 / 75 >

この作品をシェア

pagetop