ココロヨミ
「こんな時間までどこをほっつき歩いていたんだ! えぇ!?」

「いいぃ、いや、はい、その……」

 やはり人間恐怖症は治った訳では無かったようで……。

「口答えはいい! まったく、結局弁当を食わないままに午後の仕事じゃないか。ほら! ぼさっと突っ立ってないで仕事をしろ、し・ご・と!」
「は、ははははい!」

 結局桐原が会社に辿り着いたのは、昼休みもとうに終わり、午後の仕事の真っ最中だった。

 駅近、徒歩三分、五階建てビルの二階。その一番奥の席にブルドックこと磐田課長がふんぞり返っている。

 まあ案の定、ガミガミと怒られたわけなのだが。あまりに怒られてばかりいるので、自分が姑に口うるさく叱られる嫁になった気分だ。

 つまりはそれ程日常茶飯事な事なのだ。

 桐原は、ブルドック課長から一番離れた自分の席に着くと「はあー」と長いため息をついた。

 同僚達が、哀れな小動物を見るような目で同情の視線を送ってくるが、何故だろう、全く嬉しくない。

 ついと課長に視線を持って行くと、仕事中にも関わらず美味そうに牛カルビ弁当を頬張っていた。

(結局喰ってんじゃねぇかよ……)

 まぁ言える立場だったとしても、絶対言わない、絶対言えないのが桐原なのだが。

 普段なら隣の席から嫌みったらしい笑みを浮かべた、後輩の山田が覗き込んでくる(性格はブルドックに負けず劣らず。口の酷さなら上)ところだが、今現在は、会社の特別研修生としてミラノの方に行っている。

 正直、奴がいないだけでどれだけ気が楽に、会社が楽になったか……。

 あんな性根を疑う性格な奴でも、社内での実力はトップクラスなんだから、まったく世の中間違ってるだろうに。

 その空席にも明日、新入“女性”社員が来るらしい。しかも飛びっきりの麗人だともっぱらの噂だ。

 あえて美人女性社員を女性恐怖症の桐原の隣に置く。そんな拷問が平気で出来る人でなしは、まあこの会社では恐らく一人だけだ。

「はっぶしっ!」

 盛大なブルドッグのくしゃみが部屋中に轟いた。
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